2012-06-11
校正
相手側に納品するに先立って仮刷りを行い、
それと原稿の内容を突き合わせ、誤植や体裁上の不備を正す。
とされる。
しかし、この校正行為、僕は懐疑的だ。
もっと言えば、事実の改竄の温床といえる。
誤植を体裁というが
それを直す側は当事者ではない、
表現をかえることは、
その訂正者の意図が入ってしまう。
たとえば、必ずしも全員ではなかった事実をもとに
「多くの人が」と表現しても、校正する人はそれでは伝わらないということで
「全員が」とかえてしまったり、
事実、
よくないものを「よくない」と表現すると
校正者の人間関係に不具合をきたすので
「ひとによっては受け方がことなる」
のなどとしてしまう。
納品、品質主義というが
後日パッチやアップデートできることが
逆に付加価値になっているし、
納品した瞬間から、それは過去、間違った方向性の代物に変わってしまう。
時代のスピードが速いこの時代。
校正で情報を改竄するより、
そのままの情報を流すべきという思いがあるなあ。
高い品質を全面に押し出してきた
日本ブランドの凋落は、校正のように
体裁を整える時間、コストが導いていると感じている。
品質が悪いものを出せ、とまでは言わないが
時流を考えて、今あるものを出して
それを改訂していく気概がないと、
本当の意味での品質、、、
そして校正をする真の目的にはなっていないと言える。
2012-06-08
2012-06-07
即席
即席麺などで有名な言葉、
辞書的には
その場ですぐにすること
辞書的には
その場ですぐにすること
席に座って、すなわちに、、
つまり、何もすることなく、結果が出るという意味になっている。
現代社会は即席の社会になっている。
通信販売が栄え、
お店といっても、コンビニエンスストアで多くのことが済んでしまうこの時代。
座って、、思ったらすぐに結果出る時代といえる。
便利であることは事実だと思うし、そのことが前提である生活になっている。
いつの時代も便利、豊かにアンチテーゼはでてくるもので
いろいろとこの即席社会に一石投じる事象はあるが、
その一石も即席の流れには勝てない一過性のことが多い。
丁寧に作るものも、、その丁寧さが機械で数分で実現。
熟成させた、、化学反応の研究で100年の熟成を大量生産できることに、、
即席を求めることは、人間の業、性であるとしか言いようがないのではないだろうか?
2012-06-06
2012-06-05
2012-06-04
抜擢
多数の中から選び出す行為で多くは人に使われる。
抜擢するというと、多くの人は抜擢される側への期待と優秀性に目を向けるが
抜擢する人
抜擢されなかった人
について考えることが経営、管理監督者には必要なこととなる。
選ぶということは選ばないという消去法の説明が求められることが多い現代社会。
選んだ側の妥当性、他ではダメな理由
選ばれなかった側への、理由や次回や次のステップ提示
がないと、いきなりの抜擢に人間の感情は大きく揺れて、ストレスにより実績低下につながる。
選ばれることを目指すための努力は
僕からすれば、視野の狭い努力であり、
選ばないことにより、他の者たちへの配慮が
抜擢という行為の真の意味と僕は強く感じている。
2012-06-01
経験
人間の学習そのものと思う。
座学や理論、演習ではなく、
実際にそれを経験しないと理解できないと言える。
また繰り返し実施することで
その活動への勘所というか、
効率的なアクションが習得できる。
効率化を進んでいる現在、
その活動そのものを経験せずに非効率、無駄と言い切る発想が多い。
しかし、経験を得るということは大きな財産といえよう。
僕からすれば、経験はいわゆる失敗の塊だ、
もしそれが成功と思うことも失敗の経験になるだろう。
失敗してそれをリカバリするというノウハウを得ることができていないという点では。
僕の持論では
成功は、売上という財務会計的に
失敗は、経験という管理会計的に
会社の資産が蓄積できると思っている。
適度な売上も重要だが、
それでは手に入らない経験を積ませるように会社の経営バランスよりよくしたいものだ。
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