2012-06-22
段差
生活圏であふれる段差について、
今の社会の流れはバリアフリーが横行していて
「お年寄り、子供の安全のために、段差をなくそう!危ない段差は社会悪」
となっていて、ある特集では
「段差危険地帯マップ」
なんてものが出たりする。
これって作為的だと思う。
福祉ビジネス、工事ビジネスを増やすためのプロパガンダではないかと思う。
同じ事象について切り口を変えれば、
「現代人の体力不足が深刻な問題、こんな段差も越えられない、たったこれだけで根を上げる肉体と精神」
「珍しい段差発見、経年劣化と都市計画が思わぬ形状に段差を生み出した」
上記は、スポーツ振興
下記は、地形探訪
のそれぞれの価値、嗜好、そして、ビジネスの匂いをどうとらえるかに影響する。
一概に段差が悪いのではなく、
段差というものから受け取るかは人それぞれの考え方、生き方の違いであり、
ある意味、他人との考え方と自分の考え方に段差があることは永久にぬぐえないのでは?
段差というものを物体と物体とが、滑らかにつながっていない状態といえる。
段差がない社会、、それは何事も滑らかにつながっていること?
物質的にそれができたら、きっと精神の世界では大きな段差、、絶壁になり、
それを嫌がる結果、物理的な絶壁を昇華されるようになると思ってならない。
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