2012-05-16

人前


社会人になりたてや、従業員で不当と思われる扱いをされていると

「一人前として扱ってほしい」

という言葉を耳にする。

と言う僕も使っていたと思われるが、
実際にこれは、結論を言えば
1個人に値する存在になっていない、
言葉悪く言えば、什器レベル、PC端末と同じ存在と変わらないと思うべきである。

個人としての存在意義を管理監督者が見いだせない以上、
それはインプットされて動く存在でしかない。
言われた通り、支障なくできるその出なくてはならない。
そこに個人の意見が介入する必要はない。
什器やPCが勝手な判断をしたら、入力側はとても不快だし
作業効率が下がる結果になり、強いてはその什器、PCは廃棄になる。

それと同じあると理解する前提から始めるべきだ。
ポイントはその作業での勝手な判断ではない。
その次のアクションをどうするかが、一人前へのステップだ。

やることを終えた後、終わるころに次のアクションを提案することが
一人前の入り口だと考えるべきである。
やっている作業自体に介入すべきではないのだ。

従業員レベルで
「一人前に扱われていない」
という話において、
自己提案の有用性が管理監督者に無碍に扱われているのであれば、
それは一人前として扱われていないと言える。、
そうなった場合、僕はその組織にいる必要がないと思い離席を実行してきた。

しかし、多く場合
単調な仕事しか与えられないことへの不満でしかなく
単調な仕事ばかり投げられるのではなく、
単調な仕事しか扱えないとみなされている事実を理解すべきことを理解してないだけと言える。

自分の周りを見渡せば
やるべきことややってできることはいくらでもあると
常に思い行動しているか
そこが一人前かどうかポイントである。

意味を繰り返すことになるかもしれないが、
一人前とみなしてからそう扱われるのではなく、
一人前の活動をしてから、はじめてみなされる事実をよく理解すべきだ。

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