2012-04-10

布陣


現代社会では戦という概念で布陣を使うことはゲームの世界でしかなく
人員配置などの構えをさすことが多い。

僕が感じているのは
どんな緻密な計画を立てても
布陣の良しあしでいくらでも変わってしまうものということだ。
むしろ、布陣のありようで、
計画なんてものは意味をなさないということになる。

こんなことを言うと元も子もないと言い出す人もいるだろうが
その布陣こそ、社会を理解しているかどうかであり、
成功の要因そのものといえる。

優秀な人を集めた布陣は必ずしもうまくいくとは限らない。
むしろ、それゆえアクションができなくなるということもある。
互いが互いを尊重、見下す可能性を有することになるからだ。

逆に、無能な人たちを集めたら、、、それは確実で成功しないだろう。
無能という前提条件で集めたら、できるわけがない。

僕が思う布陣は
互いが互いの長短を補える関係であること、
それ以上に
相手を支えるのが自分の使命
支えられているからこそ、自分は報いなくてはならないという責任感
がある布陣をもてば、
それはたとえ、当初弱くても、必ず結果を出すと僕は確信している。

使命と責任が芽生える布陣を良しとする社会、
それは現代自由民主主義概念では難しいといえ
新しい価値観として、創設すべき、新古典的な概念なのかもしれない。

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