2011-02-15

飽物

飽食をひとつ超えた、飽物な時代といえる。

身の回りの人たちと話すと
「欲しいと思う商品がない」
と口にする人が多い。

老若男女、仕事、趣味人、全カテゴリにおいてだ。
実はこれは、各位がやりたいことをやっている現れである。

ほしいものとやりたいことをやっているということが
リンクするという発想はすぐには理解できないかもしれないでの
言及すると、

欲しいと思うことは
ある製品が自分にとって有益と感じるものであり、
欲しいと思うときに、その製品が存在していなければ
発生しない感覚である。
世の中の製品は前提として
市場が求めているものを市場の求めるカタチで提供して
需要供給の一致でその価値を計ることになる。

上記のことはある意味鶏卵論であり、
欲しいものがあるから買うのか
買いたいと思うから提供するのか
というところがある。
今までの高度成長期の日本であれば
無い前提だからこそ、
多く物を提供してその中で支持を得られたものを
より改善、低価格化を目指した。
それゆえ、ものがないこともなく、欲しい感じるものが多く提供されていた。
しかし、それが飽物の現代になると、
それが逆効果になっている。

何を出しても支持されない、、どころか批判されることが多い。
何がいいかわからない以上、自分たちのやりたいようにしてみようという供給側、
市場に自分の好きなものが出回っていない以上、
飽物である現在わざわざ購入するまでもないと思う消費者側。
どんどん市場は冷めていくことになっている。

顧客志向と訴えても
顧客が欲する気持ちがない以上
一番の顧客志向は何もしないことといえてしまう。

相手の欲しいと思う気持ちと
自分がやりたいことが一致するマッチングは
今の飽物である以上難しいかもしれない。

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