2011-02-03

殺人

物騒なタイトルだけど、真意を伝えたいのであえて。

ノーベル文学者が

「殺人が悪いことなんて、あたりまえではないか!なぜわからないんだ!」

と憤慨した投稿を目にした。

文学者であっても、哲学者、研究者の視点はないんだなあって思った。
当たり前である理由がないものは当たり前であるわけがない。
その理由も考えずに、憤慨する感情論は僕は卑下したい。

殺人が悪いということを本当に考えて説明できる日本人が少なすぎる。
それは殺人行為が自分にとって悪いことになる実感が沸かないからではないだろうか?

人間以外の動物は自己生存のために
縄張り、自己および子孫繁栄のために
同種を殺すことをいとわない。

人間とて、古来より、戦争において、
殺人を目的として、生き延びるための行為をしてきた。
そこで、殺人を卑下している人は命をたたれかねない。

近代社会を構成する社会集団にり、殺人を行うと
・そのステークホルダーから感情的に憎まれ、コミュニケーションが疎遠になる
・社会全体としての1人分の生産性を失う
・次は自分が狙われるのではないかという不安から十分な社会的パフォーマンスが損なわれる
という負の連鎖が行われ、人間社会全体としてのマイナス要素が多いと判断され
コミュニケーションという社会性を維持している人間社会においては禁忌とされるし
行為の抑止をするようなルール作りが行われてきた。

殺人が悪いというは意味を正しく理解するのであれば
殺人という行為により、
自分および自分のステークホルダーの生命維持が危ぶまれる因子が多いから
やるべきではないというべきであろう。

ここでは極端な話である殺人という行為に言及したが
物事には、それなりの理(ことわり)があり、
それを実現させるために、ルールや禁忌があるのである。

「禁忌だ(当たり前)、ルール(法律)があるからやめよう」
という発想、教育そのものが社会性を損なっていると感じられてならない。

現代人の鵜呑み発想の偽善的洗脳行為
あまりにも、
イワンのバカを連想してしまい僕はちょっと、、、と感じてならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿