外的要因から核心たるものが現状維持できるように緩衝行為をとること。
身を守るために、
何かと何かぶつけていることが防御ということになる。
守り耐え抜くということは、
ある意味、美談のようにされるのは、
日本が専守防衛をよしとする国として風潮があるからだと思うが、
守るということは、はっきり言えば、
すでに危ないとということは忘れているのではないか?
守らなくてはならないということ、
その緩衝行為が必ずしも現状維持を担保するものだろうか?
僕のことを知っている人は気付いていると思うが
僕は守るということを主是としない。
なぜなら、それ以上に真に守る本質の行為をするからだ、、、
0 件のコメント:
コメントを投稿