物事を洗い、濯ぐ(すすぐ)ということ。
物質では、衣類に使われるが、食器に使われない。(使うとしての洗浄という)
精神では、心の洗濯というが、心の洗浄とは言わない。
洗濯と洗浄の違いは、、というより、衣類も心もなぜ洗濯なのか?
洗うとは、
表層に付いてるものを
中和要素(水にあたるもの)で
取り除く行為
濯ぐとは
内部にしみこんでいるものを
洗うと同じように中和要素を用いて
抜き出すこと
浄めるとは
すべてを無垢にすること
IT好きなみなにわかりやすくすれば
洗濯は、過去復旧 バックアップリカバリ
洗浄は、初期化 フォーマット
と思ってくれて構わない。
衣類は買った当初から
すそ上げ等のカスタマイズや色あせが逆に味になることで
ある意味、買った当初に戻すことは求められない。
今ある、汚れを取り除きたいがために行われる。
対して、食器はカスタマイズはしないから、
漂白剤等で洗浄して、買った当初の姿の維持に務める。
対して、心の洗濯も、初期化という赤子レベルというより
ある程度、自分が落ち着いていた時期と同じようにしたいために
水ではなく、いろいろな嗜好要素という中和要素で自分を取り戻すとしている。
洗濯行為は
行動の最後に
現状において、いらないとされる汚れを取っておく終了行為でもあるし、
次のステップに進むために、開始準備行為でもある。
洗濯は終わりか、始まりか どちらと捉えるかは
その当人のこれからの生き方そのものかもしれないなあ
0 件のコメント:
コメントを投稿