2009-04-14

従順

ある意味、いい意味で使われる、隷属を正当性にしている言葉。
日本的であり、指示通りことにあたることがよしとする集団農耕の発想だった。

実は多くの人間は、従順であることに抵抗は少ない。
それは、決められたルールどおり行うことは、
深く考えず、自己責任をとらなくてすむ。
「みんなやっているのだから」
って言い訳するのはその現れである。

対して、従順をよしとする文化に自己責任を導入するとどうなるか。
それは、人間のカオス化を導く。
これは日本だけでなく、多くの国地域で現れている。
統治構造が民主主義に変わると良いとされるが
その時点では、犯罪が増加している。
なぜなら、今までの活動のいくつかが違法とされたりすると
自分で判断をするとき、決して遵法的な判断を導けるとは限らない。
そして、自己の価値判断が他人の判断との相違がわからず、
抗争を導いたりするのである。

それは、国家が民主主義に変わるときだけではない。
新しい集団に身を委ねるとき、
従順すべき基準がわからないと、
結構自己判断がその組織の基準とあっていないことが多いし、
その指摘をしても、その組織になじんでいないと理解できないだろう。

現在、プロジェクト管理ビジネス等で組織の発生、収束が勃発しているし、
転職することが用意になったことで、多くの現代人は
どの基準に従順すべきか理解できずに、結局自己判断が自分本位になりつつある。

自己本位になる人間の理解の低さを嘆くと同時に
出来る立場の人間は、組織を束ねるものとして、
・早期理解できる基準の徹底教育
・自己本位を制裁する実行力
を持ってあたることが、
結果として、人間の楽できる、従順に導けると考える。

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