2009-04-22

評論

自分の経営哲学において、
認めない行為の代表的なものといえる。

評論をすることで、
生産性が高まるのか?
新しい付加価値の創設につながるのか?
答えは、どれだけ言い訳を作っても、、否である。

仮に評論のおかげでということをいうが者がいるが、
それは、その評論を受けた後の行為自身に価値があるわけであり
その評論に価値はない。

そもそも、評論という行為自身が主体行為であることがありえない。
自分の思い描いている検討案と相手の検討案が
似ている
異なっている
ことをぶつけているときに、
相手の意見が自分からすれば、評論に見えるだけであり、
それぞれは自分の案の実践にまい進しているに過ぎない。

無下に、部下、社員という相手を評論だけして自分のア意見を論証できなくなったら、
この椅子は論証しているものに譲るのが、最善の経営判断と僕は決している。

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