理(ことわり)を解するといういうことは
ことわりが何かを知ることから始まる。
理とは、本質であるが見えないものだといえる。
心理、物理、道理
という言葉でわかるように、
核心にあたるのだが、
その言葉を使うときはえてして
その核心について見えてない、、つまりは理解していない状態だ。
逆に核心をつかんでしまうと
言葉する必要もなく、その前後派生も掴んでいるだろう。
理解とは
ただ表層をとらえたことではなく、
その裏側にある意味、
憶測できる行動予測
をもなしえて初めて、理解したといえる。
理解することの難しさ、
そして理解したときの充実感の高揚
なかなか味わえないし、それが人生活動の醍醐味かもしれない。
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