かっこよさというものへの勘違いを呼び出すこと。
学生時代の制服への改造
一昔のチョイワルというところにも
ワルかっこよさを求める愚民の思想が伺える。
しかし、正しいことを真に理解していない愚民に
ワルが自覚できようか?
また、そのワルをすることで自己責任をとるものがどれだけ存在しようか?
不正を定義する前提をして、
ワルななぜかっこよかったを考察しよう。
既成化された没個性だった日本社会において、
そのノリを超えて個性を出すこと、それにより社会の波に耐えられる
機知と度量を持っていたからこそ、かっこよかったとされていた。
だから、自分が行っているかっこよさにはそれなりの覚悟があったのだが、
そのかっこよさだけを見た愚民が覚悟もないのに、模倣しているのが
今の不正の事実。
現在における不正は
正しくないことではなく、
自分がどう間違っているかわからないこと
といえるだろう。
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