殺人とは人を殺すこと、すなわち人間の生命を絶つことである。
殺人はその行為をするだけで罪になる。
それって現代人の思い込み、洗脳である。
考えてほしい。
~殺人犯に対して、遺族が死刑を求めること
~凶悪犯が射殺すべきと言い出すこと
など、殺意をもった発言は殺人行為、殺人幇助行為ではないだろうか?
でもその発言はなぜか正当とみなされること。
この事実をおかしいと思わないことからして、価値観の洗脳を感じてならない。
殺人が本当に悪いことか?
既存の思い込みを排して考えてみると
特定の人間がいなくなり社会がよくなることは死刑を求めることからわかるように
殺人の効能もある。
そして、殺人が蔓延する社会になることで
「もしかしたら、殺されるかもしれないから相手に気を付けよう」
という社会モラル回復が図れるし
多くなりすぎた人口の抑制、そして、
過剰となって需要とそれに応える人手不足の解消になるともいえる。
現在、犯罪が明確な法源がないまま裁かれることが多くなってきている。
殺人という行為についてもそろそろ破綻するだろうなって僕は感じている。
自分で自分を守るために、相手を殺すことが当然になることはそう遠くないのではないか?これは人間の歴史を神瞰してみればそろそろの周期だともいえるだけに。
2018-12-27
脱退
属している組織から抜けること。
大きな団体に属することが正だったのか?
そもそも、大きな団体ってその中の有力者の思うがままになっているのでは?
個人の尊厳、そして個人として独立して行動できることで日常生活がみたされるようになっている昨今。団体に属する必要がなるのか?
脱退という行動をとると、約束が守れないと後ろ指さされることになると言われるが、属して迎合、服従することが個人の尊厳を抑止するのであれば、脱退するほうが正しいといえる。
現代人、組織、団体に属することが正ではないことにそろそろ気づかないとその組織、団体から虐げられている事実認識、そして未来の可能性も失うのでは?
大きな団体に属することが正だったのか?
そもそも、大きな団体ってその中の有力者の思うがままになっているのでは?
個人の尊厳、そして個人として独立して行動できることで日常生活がみたされるようになっている昨今。団体に属する必要がなるのか?
脱退という行動をとると、約束が守れないと後ろ指さされることになると言われるが、属して迎合、服従することが個人の尊厳を抑止するのであれば、脱退するほうが正しいといえる。
現代人、組織、団体に属することが正ではないことにそろそろ気づかないとその組織、団体から虐げられている事実認識、そして未来の可能性も失うのでは?
2018-12-26
寸暇
わずかのひま。
「寸暇も惜しまず」としてちょっとした時間も有効活用する諺である。
しかし、この諺は過去にしないとならない。
働き方改革という概念における生産性は寸暇を惜しむのではなく、
少しの行為で高い生産性をだし、後は休むことが主是といえる。
そうなると、寸暇という概念があってはならない。
もっとも、生産という概念も対価を得られることと読み替えるべきであり、
それを実現させるには払う側も相手に寸暇を惜しまず働いていることを評価しないことが求められるのだが、、、、
現代日本では無理だろうな。寸暇を惜しまずということ自体が美徳である以上、そうではない行為は安く観る傾向である以上、働き方改革などは実現できないといえるな。
「寸暇も惜しまず」としてちょっとした時間も有効活用する諺である。
しかし、この諺は過去にしないとならない。
働き方改革という概念における生産性は寸暇を惜しむのではなく、
少しの行為で高い生産性をだし、後は休むことが主是といえる。
そうなると、寸暇という概念があってはならない。
もっとも、生産という概念も対価を得られることと読み替えるべきであり、
それを実現させるには払う側も相手に寸暇を惜しまず働いていることを評価しないことが求められるのだが、、、、
現代日本では無理だろうな。寸暇を惜しまずということ自体が美徳である以上、そうではない行為は安く観る傾向である以上、働き方改革などは実現できないといえるな。
2018-12-25
戯曲
演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。
言葉の発生、語源をたどれば、演劇とは舞台でしか行われないもの。
それを観客と上演の別離が映画
それを時間とも別離をしたものが映像作品
といえる。
戯曲の作家は劇作家と言われていたが、今では
原作者
脚本家
シナリオライター
監督
といろいろな言い方、分業になっている。
でも考えてほしい。
いろいろな呼び名、分業したとしても本質は同じ目的に進めることを求められる。
、、、、なんか肩書だけで目的を失った行動をしている人たちがメディアで語っていると腹正しく感じる。
そして、技術の進化で
コンピュータが編集、カメラワーク、音響効果を行うだけでなく
CGや音声ソフトの普及で、役者すらいらなくなっている。
つまり、分業をしなくてもひとりでも戯曲を作ることができるといえる。
そうなると、、人手不足なのに、無駄な存在が偉そうに居座っている今の事実
どうかも自然淘汰が必要ではないかって思ってならない。
言葉の発生、語源をたどれば、演劇とは舞台でしか行われないもの。
それを観客と上演の別離が映画
それを時間とも別離をしたものが映像作品
といえる。
戯曲の作家は劇作家と言われていたが、今では
原作者
脚本家
シナリオライター
監督
といろいろな言い方、分業になっている。
でも考えてほしい。
いろいろな呼び名、分業したとしても本質は同じ目的に進めることを求められる。
、、、、なんか肩書だけで目的を失った行動をしている人たちがメディアで語っていると腹正しく感じる。
そして、技術の進化で
コンピュータが編集、カメラワーク、音響効果を行うだけでなく
CGや音声ソフトの普及で、役者すらいらなくなっている。
つまり、分業をしなくてもひとりでも戯曲を作ることができるといえる。
そうなると、、人手不足なのに、無駄な存在が偉そうに居座っている今の事実
どうかも自然淘汰が必要ではないかって思ってならない。
2018-12-21
2018-12-20
鵜飼
鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る、漁法のひとつで
ウののどには紐が巻かれており、
ある大きさ以上のアユは完全に飲み込むことができなくなっており、
鵜匠はそれを吐き出させて漁獲とする。
人手不足の昨今、
丸投げしておいて
相談しても
「それはお前の責任だ」
とされてできるだけ一人で行い、結果をだそうとすると
「なぜみんなで確認する行為はしない」
と言い出す輩が多い。
つまり、手柄の横取りをレビューというかたちで
行おうとする行為の蔓延が多すぎる。
責任を負わすが結果は取り上げられる。
これでは鵜飼の鵜だな。
そりゃー、人はやる気をなくすわな。
ウののどには紐が巻かれており、
ある大きさ以上のアユは完全に飲み込むことができなくなっており、
鵜匠はそれを吐き出させて漁獲とする。
人手不足の昨今、
丸投げしておいて
相談しても
「それはお前の責任だ」
とされてできるだけ一人で行い、結果をだそうとすると
「なぜみんなで確認する行為はしない」
と言い出す輩が多い。
つまり、手柄の横取りをレビューというかたちで
行おうとする行為の蔓延が多すぎる。
責任を負わすが結果は取り上げられる。
これでは鵜飼の鵜だな。
そりゃー、人はやる気をなくすわな。
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