’すいめん’と読めるし、’みなも’とも読める。
水と空気との境界面であり、
人が水と可視的に確認できる点でもある。
しかしだ。
’すいめん’、’みなも’と人によって、音として認識が異なったり
波やゆらぎで、同じ水でも見たタイミングで水面の状態は異なって見えたりする。
道教では、そんな変幻自在、流動性を重んじるが
現代社会の画一的、定義主義においては
水面の固定できない形状は他社との認識共有を妨げるいい例となっている。
ある意味、人間のコミュニケーションそのものが水面のようで、
あの人はこういう人って認識していると
それとは異なる付き合い方が幾通りもあるからこそ
人は悩まざるおえない、それがまた第三者も悩ますことにもなる。
水は身近にあって、そして捉えづらいものと改めて感じている。
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