2013-10-02

美醜

哲学書の中では、
美しいものは不変であると記述されている。

が、僕はそれは違うと思っている。
美の定義は時代というか、その人々の集まりでいろいろと違うし、変わるものといえる。
例えば、
首長族の美は首の長さが女性の美であるが、
今の日本では受け入れられるものだろうか?
そんな今の日本も、平安時代の美の定義は黒髪の長髪の女性が基準だったことを
受け入れていない。

遠隔地、古い時代との比較だと
なんか的を得ていないと思わるかもしれない。
しかし、そんなことでなくても身近なところでもそれは感じる。
テレビで数十年前のドラマを再放送すれば
その当時の最高の美で作られているが、
・仕草
・衣装
・持ち物
・技術
・身だしなみ
どれも、今時代どれかを用いれば、ださい、醜いという誹りを受けるだろう。

ほんの数年前の美でさえ、直ぐに否定どころか醜い方に認識されるのである。
まーそれも逆で、もし過去の存在が今の時代のファッションなどを見たら
最低、、って言うかもしれない。

つまり、哲学でいう美の不変は間違いである。
バカな哲学者は、
そんなの美ではないと美はもっと根本的な、、、
っていうが、過去の人の思い込みに固執し、しかも世間と違うことをいうことほど
哲学の精神の美と真っ向から逆らう愚行で、全然美しくない。

0 件のコメント:

コメントを投稿