2013-09-09

慣行

そんなに朝早くもないのに
「おはようございます」
疲れてもいるわけでもないのに
「お疲れ様」
という挨拶。
これを慣行として扱うことを容認してきたのが人間である。
しかし、この慣行ももはや破綻してきている。

ある地域で
年寄りが朝、子供に挨拶したら
「話しかけるなババア」
と答え、その子供を叱責したら
その親が出てきて、
「気安く関係を持つな」
と言い出し、それが当たり前になってきているとのこと。

今までの慣行的なことが通じなくなってきている。
そもそも、効率、真実の探求することは
慣習、伝承の否定になりやすい。

今まで正しいと思うから行ってきた慣行を真っ向から否定しても
咎にならない現代社会において、
何を持って正しさの立証になるだろうか?

職場や地域社会においても
挨拶という慣行が減っているどころ
その挨拶をすることに嫌悪を示していることが正当になっていることから、、

慣行という行為そのものが意味を成さない。
前例否定社会になってきているといえる。

僕はこれを嘆くことはしない。
それについて、嘆いたところで
変わりゆく社会では意味が無い。
その分、
挨拶をしないで僕を敬わない輩に制裁することも
もはや非暴力の慣行のシガラミから外れていると僕は判断行動する前提だから。

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