異なる音声言語を話す人たちの間に入り、
双方の言語を相手方の言語へと変換し伝えること。
最近思うのだが
異なる音声言語とはいえない、
むしろ、日本語同士でも通訳を介さない通じないことが
やたら多くなっている。
若者と年寄り
専門家と利用者
当事者と陪審員
など、立場が異なるだけ、生きてきた環境だけ、
というところで、全く言葉が通じなくなっている。
それだけ、自己中心的、個人的になっている証拠であり
同じ日本語を使っているつもりで
他人には通じていないことは、日常的に多々見られる。
それをどうにか伝わるようにする活動、技術は
ある意味、通訳と同義だと思ってならない。
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