やまいつつしむ気持ちの深いさま。特に、神仏を深くうやまい仕えるさま。
日本人の多くには馴染みがないが、
世界中では、敬虔ではないことのほうが異常とみなされる方が多い。
これが日本人の大きな世界観の過ちであり
英語を勉強する以前にこういうことを知るべきだと言える。
日本人が思う以上に
世界では神の存在は絶対かつ身近である。
それゆえ、発想が逆であり
敬虔ではないことのほうが理解できないとみなされる。
例えば
休日に仕事をすること、
僕個人としては許すことにしているし
日本においては問題意識すらない。
しかし、神からもらっている祝日に働くのは背徳であるし
拝礼にもいかないのはどうかしているとみなされることが多い。
だから、日本基準で納期優先とかの名目で
フル稼働を要請するのは、国際的に間違っている認識とされることも
考慮するべき事案である。
国際化といい、いろいろと語学、世界情勢などの知識、技能を身につけても
他国の<常識>、日本で言う敬虔が当たり前ということを理解できないからこそ
国際的な成功が難しいといえる。
そもそも、こういうことを考えれば、無駄な国際化が
それぞれの国民の信仰の自由への弊害となぜ世界社会が気づかないか
不思議に思うレベルである。
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