勘違いの源泉になる条件である。
一方は、包括されていると思っていても
他方は、それは包括されていないということが多い。
文字上、多くのことを包み込むという感じが受けるが
全てではないときに使われる。
全てだった場合はわざわざ、包括条件を定める意義がないからだ。
どこまでが
どういう理由で
包括されるのか、
そこを自分としてだけでなく、
その関係者に共通認識をもつことが極めて重要なのが現代の
契約社会だと思う。
それなのに、現代社会は権利ばかりの主張が多く
自分の思いの包括条件が押し通すことが多く感じてならない。
それって、契約社会の中に<包括>される対象にならない、、なれないのでは?
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