多くの人は練習すると同義に感じているだろう。
しかし、この熟語を紐解くと、、、
稽:考えるの旧字
古:歴史あるあらまし
つまり、稽古ということは
歴史的に積み重ねてきた行為を自らで考えて行う
という意味である。
だから、稽古をする条件として
・歴史ある行為を今に伝える存在
・それを自分なりに解釈しようとする存在
という2人格が必要である。
伝達媒体の多様化で
伝える存在が必ずしも生の人である必要はないとされるが
その媒体に映す元は必ず生きた存在であることは変わりない。
稽古とは練習というより
継承であり、それをどう今の時代に合わせていくかということを
考えることが必要である。
稽古をつけるということは
伝承させること
自分なりに解釈すること
のふたつが成り立っていないとならない。
ふと思う。
現代社会って稽古をつけるという行為そのものが
なくなっているといえるなあ。
これって、
効率化、
それともコミュニケーションの希薄化
いや、両方ともであり
なるべくしてなった結果そのものだといえる。
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