2013-07-11

表現

「お前は記憶違いをしている」
と発言されることが多い。
が、自信を持っている僕が正しいといえる。
そのくらい常人ではない洞察、記憶をしているからだ。

その分思う。
当時、その人の思っている認識と僕の思っている認識とが
少しでも齟齬があるとそうなるだろう。
つまりは、相手が僕である受手の理解への遊びがないからだろう。

例えば
「よかったよ」
と表現をその雰囲気で理解したつもりで
自分は素直にその言葉通り理解しても
相手は皮肉で言っているが、それが僕に伝わらない表現力だったとき、
その言葉通りの記憶でも
相手は後日
「よかったなんていっていない、記憶が違うぞ」
と平気でいいだす。

人間は表現と思いが必ず一致しないという前提が必要。
そして、思いが表現を凌駕するので
周りの認識と自分が合わないと、自分の言っていることが通じないというストレスを受ける。
日本の教育では
国語や現代文の授業をあれだけやってきて
結局は心情の読み取りなんてできない無駄な時間だったと思うと同時に
自分の心情と表現の齟齬を前提に考え
相手の表現をそのまま理解しながらも
また、自分の表現も理解して
相手がどう受け取ったかの反応を経験として蓄積してその人の傾向を掴むしかないと思う。

だから、記憶違いなんてことはまず無いだろう。
それは、相手の表現が心情と連れているというであり、
その人の表現力のなさか、心情が僕の理解できないところにあるということで
僕はその経験を蓄積して、他人との接し方の考察を深めるしか無いとおもうだけである。

0 件のコメント:

コメントを投稿