余韻にひたるという概念が薄れてきているなあって思う。
それに対して、2つの意見がある。
一つは
他人の言動に重みがない、全然記憶に残らない
もう一つは
自分のことで精一杯で他人の言動を理解する隙がない
どっちもどっちで、人間としてゆとりがなくなっていると感じる。
情報が多すぎて、、、個々人の処理能力が追いついていない
つまりは、考えていないレベルのことが多い。
考えているつもりでも、、それは処理をしているということに他ならない。
余韻にひたるということは
ひたるのは自分であり、そのきっかけが他人の言動である。
相手のせいに、、もっと言えば、古人、むかしの作品に目を向け
それから受ける思いを素直に思い、考えることが
余韻にひたるという思いではないだろうか。
少しでも余韻にひたる時間をもつことは
きっと心のリフレッシュ、次のアイデアの源泉になるのでは
常に思い、古書などに手を伸ばす今日このごろだなあ。
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