2013-06-20

不服

納得がいかず、不満に思うとき、
不服申し立てを起こすという話を聞く。
それって、無駄な努力であると結論づけていている。

制度として、不服申立ては存在する。
しかし、不服申立てというものは機能できるだろうか?
制度通りに従って、その処理がされるが
その処理の過程で、他の人の不服申立てを誘引させることも多いし
その人の個人の不服で、多くの人が不利益を被るのは
民主主義、公共の福祉の観点で許されない。

不服申立ての多くは
当人がより不服に思うが
違う誰かを不服にさせるだけであり、
負の連鎖になるだけだと言いたい。

では、不服に思う場合どうすればいいか?
根本的にその発想がも違っていると考えるべきではないか?
不服に思うのであれば、
その組織にいる事自体が間違っているので
その組織から離れる努力をすべきであり、
チーム、会社、団体、そして、国民というレベルで離れるべきである。
それができないのであれば、
不服ではなく、服従するしかないという割り切りをしないとならない。
不服な思いは組織的なワガママで許されないという判断である。
個々の思いを実現させたいなら、
それ相当の捨てる覚悟が必要であり
不服なんてものは甘えにすぎない自覚があまりにも現代人は足りないと言える。

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