もともとは建造物の設備、機材の配置、設定であり、
その建付の良しあしで、耐震、耐風、居住が変わる要素。
今は転じて、論理的な創作物
体制
system
組織
にあてはめ、人間の行動の効率化に対して用いたりする。
要は気持ちよさ。
定性的な感覚で、人によっては異なることを忘れてはならない。
自分が思う社会の建付と自分以外の思う建付が
必ず一致するわけがないという前提理解や
まったく逆の思いを今の建付に思うこともある。
実はその建付の感覚。
結構、人と人との争いを生む火種なるのだが
なかなかその事実を人は軽んじる。
2014-01-30
伝言
伝言でうまく伝わらないのは
伝言させる側
伝言を受けた側
伝言を伝えられた側
どこの責任は?
現代人って
真ん中にいる
伝言を受けた側に責任を押し付ける悪い考え方が蔓延している。
考えてほしい。
伝言をする人は
その伝えたい内容の関係者でないから
伝言になるわけであって、関わっているなら伝言ではなく承りになるはずだ。
関わっていないから、理解もなければ、責任もない
善意で伝言を受けているだけで、
責任を押し付けることそのものより、
伝言をする側に大きな情報管理能力の欠如を感じる。
悲しいかな、
そういう自覚がある人は伝言という行為を行わない。
無自覚に力を握ってしまった輩が
伝言者を責めたてる社会構造になっているといえよう。
伝言させる側
伝言を受けた側
伝言を伝えられた側
どこの責任は?
現代人って
真ん中にいる
伝言を受けた側に責任を押し付ける悪い考え方が蔓延している。
考えてほしい。
伝言をする人は
その伝えたい内容の関係者でないから
伝言になるわけであって、関わっているなら伝言ではなく承りになるはずだ。
関わっていないから、理解もなければ、責任もない
善意で伝言を受けているだけで、
責任を押し付けることそのものより、
伝言をする側に大きな情報管理能力の欠如を感じる。
悲しいかな、
そういう自覚がある人は伝言という行為を行わない。
無自覚に力を握ってしまった輩が
伝言者を責めたてる社会構造になっているといえよう。
2014-01-29
2014-01-28
天分
生まれつきの性質・才能、
noblesse oblige
で僕は育てられてきたが、
近年その反対概念がよくわかった。
「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」
である。
現代、とりわけ日本社会は
自分の能力に対しては、能力主義と言い張るが
他人の能力に対して
「出来るのに、やってくれない」
「自分の立場をわかっているのか!」
と平気で他人の能力はみんなのためという名目で
自分のために使わせようとしたがる。
天分は天から与えられた才能と思うのは
自分以外の人たちであって
当人は努力とそれ相当の結果と感じている。
才能、天分は
あればあったで評価されるどころか
いいように扱われ、批判までされる。
なんか、予定調和かそれとも足の引っ張り合いなのか
本当に生きづらい社会になっているなあ。
noblesse oblige
で僕は育てられてきたが、
近年その反対概念がよくわかった。
「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」
である。
現代、とりわけ日本社会は
自分の能力に対しては、能力主義と言い張るが
他人の能力に対して
「出来るのに、やってくれない」
「自分の立場をわかっているのか!」
と平気で他人の能力はみんなのためという名目で
自分のために使わせようとしたがる。
天分は天から与えられた才能と思うのは
自分以外の人たちであって
当人は努力とそれ相当の結果と感じている。
才能、天分は
あればあったで評価されるどころか
いいように扱われ、批判までされる。
なんか、予定調和かそれとも足の引っ張り合いなのか
本当に生きづらい社会になっているなあ。
2014-01-27
2014-01-24
2014-01-23
報復
仕返しをすること。
国際間で、ある国の不当な行為に対して、同様に不当な行為で報いること
気づいているだろうか、
報復に受動態はないということ。
相手に報復する という表現はあるが、
相手から報復をうける とはまず使わない。
とりわけ、自分が主体のときはまず言わないだろう。
考えてみれば簡単なこと。
自分自身報復を受けるわけがないと思っているだから。
自分は正しい前提であれば、報復を受ける理由がないという認識だし、
もし、それに気づいてれば、相手から報復を受けないような配慮、行動をとるだろう。
つまり、
報復を受けるということは
自分の無意識があるということだ。
その事実に
ある人は、なるほど、
ある人は、報復するなんて自意識過剰のただの八つ当たりだ
と言う人がいる。
前者は、する側
後者は、される側
僕は認識しているがね。
国際間で、ある国の不当な行為に対して、同様に不当な行為で報いること
気づいているだろうか、
報復に受動態はないということ。
相手に報復する という表現はあるが、
相手から報復をうける とはまず使わない。
とりわけ、自分が主体のときはまず言わないだろう。
考えてみれば簡単なこと。
自分自身報復を受けるわけがないと思っているだから。
自分は正しい前提であれば、報復を受ける理由がないという認識だし、
もし、それに気づいてれば、相手から報復を受けないような配慮、行動をとるだろう。
つまり、
報復を受けるということは
自分の無意識があるということだ。
その事実に
ある人は、なるほど、
ある人は、報復するなんて自意識過剰のただの八つ当たりだ
と言う人がいる。
前者は、する側
後者は、される側
僕は認識しているがね。
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