2015-01-14

動線

建物の中を、人が自然に動く時に通ると思われる経路を線であらわしたもの。

なんだけど、
建物を運営している側は 導線 であると考えている。

同じ ドウセン という音であることだが、
自発的に動くのか
それとも、半強制的に動かされるのか
で大きくイメージが異なる。

自分でそれを選んだという気持ちにさせるが
実はそれはこっちの企てた道筋だった。
それが物売り企業側の理想形なんだろうな。

しかしだ。
結構これって恐ろしい結果を導きかねない。
企業側の思惑通りの導線で購買が行われて
企業側は読み通りって思って、次もそれに準じて考えると
大きく失敗する。
それは、導線戦略の間違いではなく
そもそも、顧客はそんな導線ではなく、
気分のままの動線での購買だっただけだったり、、

マーケティングって案外そんなものではないかって思う。
考えれば考えるほど、バカらしいくなるからね。

2015-01-13

敵愾

敵に対して抱く憤りや、争おうとする意気込み、、
ってこの漢字読めるかな?

答えは てきがい

敵愾心に燃える という時に使うが
感情的にわかってもいざ書くことは難しい言葉。

本来ならば、敵愾心という概念は平和主義の社会ではあってはならないというから
覚える必要はない?かもしれない。

しかしだ、敵愾心ということは実に根深く存在する。
なんだかんだで、企業競争、スポーツなどで耳にする。
結局、人は平和なんか無理無理。
敵愾心あっての種としての向上心になるのだから、、
バカな平和主義とか、、本当になくそうよ。

2015-01-09

近日

近いうち。ちかぢか。
この定性的な日付の言い回し。
これが人の計画を狂わす。

近いうちということで
明日、明後日、などに行動制限がついてしまう。
その近日にイベントが発生するので
自分がいなくてはならないゆえに、ほかのこと、遠出ができなくなってしまう。
でも、人によっては近日という表現は
ただのリップサービス認識であり、
全くそのイベントを起こす気がない場合もある。
また、その逆でリップサービスだと思ったら
実際にイベントを起こされて不在だったということも。

近日とか、
定性的な期限表現は
効率化、契約主義の現代社会では
使ってはいけないというというルール、、
いや教育で洗脳するくらい必要があるはずでは?

2015-01-08

無事

普段と変わりないこと。また、そのさま。

無事であるということを告げるときには
何か災害、事故に見舞われた場合に使う。

ただ、無事とはなんだろうか?
怪我がないということ
精神的支障がないこと
ビジネスに支障がないこと
社会的に問題がないこと
無事という言葉にいろいろな意味を込めすぎて
何を確認すべきかを忘れてしまい、ただ無事のという言葉を当事者から
引き出したいという聞く側の論理で確認しているような。

無事ということは
当事者から報告すべきなのに、
ついつい、野次馬根性で聞きたくなるのは、
日本人の悪い習慣かもしれないな。

2015-01-07

言分

言いたい事柄。主張。文句。

基本的に言分といわれてしまうと
それは独善的見解の表れのように感じる。

それぞれの言分とされるが、
言分を口にする者としては自分の意見こそ一番と思っているし
現代社会では、言分を認めてしまうことが悪いという
自己主張の社会になってきているのでこれはこれでいろいろとおかしくなってきた。

こんな社会だからこそ
自分の言分とされるものをあんまり押し出しのは
僕としてはバカらしいし、恥ずかしいって思ってならない。

むやみやたらに自己主張させる、、
言分をむやみに蔓延させることを恥じる社会が僕は戻すべきだと思ってならない。

2015-01-06

正式

定められた正しい方式や、簡略化しない本来の形式に従っていること。

正しいってなんだろう?
正式の礼儀作法といわれるものが時代とともに変わる?
いや、そう思い込んだ人が自分が正しいとして
正式な礼儀作法を変えてしまう。

そう、正式なんてものは思い込み、権力に迎合する。
正式を盾にする論理、それこそある意味邪道なんではないかって思ってしまう。

正しさ、、
それはもう幻想、、
いや、正式とは他人を従わせる力を持った者の証しではないかと悟った。

2015-01-05

貧乏

年の始まりにあえてこの言葉で始めたい。
貧乏とは何か?

貧乏という定義を常に自分の恐怖観念として思い続けるとこそ、
貧乏を寄せ付けなく、一定金持ちでいられるものと僕は人生訓にしている。

基本、貧乏の定義は人それぞれに違う。
しかし、他人、、人的集団からすればある程度の基準で貧乏が定義付けられる。
その定義で人は貧乏とみなされる。

それゆえ、貧乏の基準、水準はそのTPOで変わるのだが、
そこに触れることとなる自分ゆえに、
その貧乏の域にいないようにあがくことが求められれる。

そう求められることが人の向上心につながるべきなのだが、
そこを否定して卑屈になる貧乏
貧乏に気づかない感覚が貧乏
自分が貧乏とみなされたくないから他人を貶める貧乏
これまで裕福だったから、いきなり水準が下がると自分として生きていけない能力貧乏
貧乏の本質は、、財ではなく、その考え方、生きる姿勢だと思う。

新年を迎えるにあたり思いたい。

自分がどれだけに貧乏に近く、そこからどう遠ざけるアクションを起こすか!
人それを、努力、hungry spirit とみなす

っと。