日進月歩の日常、
最近、時流に乗るから待つように考えるようにした。
日進月歩の流れに常に乗るということは
ある意味、流されているだけと変わらない。
流されているだけならいいが、飲まれている状態だったら、
それは乗っているということではない。
対して、いろいろとあるし、
その波に乗らないなんて言われても
あえて、その波に乗らないでいることがその先につながることも
強く意識してきた。
乗らないからこそ、
今でできること
時期、様子により自体がこちらが有利に動き出すこと、
そして、、失わないことが実に多いともいえる。
時流は本当に、流れ、、液体的流動、、つまりは水物といえる。
そんなつかみようもないものを必死につかもうとすることが
かなり無駄なことっていえるようになったのは
年をとった証拠かもしれないが。
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