軍需の反対語とされるが、
現代的には、民意として求められているものの提供と解すべきといえる。
これが実のところ難しい。
なぜなら、多様化、無責任性の拡大で
民意なんてものが失われているに等しいからだ。
それをあえて、民意の統合として、民需を求めるとしたら、
なんでもタダにしろ
となり、企業活動、市場経済の根本否定になり
民需という概念が成り立たなくなるといえるからだ。
現在の不況の多くは
いいものを安くという考え方が極値、、微分的な限界点、に至り
もうこれ以上安くしたら、というところばかりになっているから
新しいところに踏み出せないということも見受けられる。
民需というものを従順に従っていること
日本古来の、
「お客様は神様です」
では、もう無理だろう。
アメリカの企業は
「いるのか、いらないのか、
いるなら、金と態度で
いらないなら、その覚悟を」
と求めるらしい。
それもある意味、これから民需統制の仕方となるだろうと感じてきた。
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