2009-03-18

共有

この言葉どう受け取るか、
・みんなのものは自分のものでもある。
・みんなのものは誰のものでもない。

僕自身は、後者の概念で教えれてきているが、
貧しい発想の人間は前者のようである。

公共物に対して、自分の取り分なんて考えたことがなかったが、
どうやら、そういう発想が蔓延しているようだ。
そうかなあ?って思っている人もいるかもしれないが、
日照権、地下所有権、という最近の権利の多くは
共有の切り崩しだといえる。

誰のものでもないことが当たり前とされていたものが、
それぞれの自我によって分割、割譲されている。

その分割、割譲が悪かって問われれば、
そうではないし、それを悪としてしまえば、
資本主義の否定だし、自分のCEOの地位をも否定になる。
問題は、分割、割譲した以上はその責務を全うしているか!
共有と宣言したものがその保全管理を徹底させているか!
ということが現代社会は垣間見れない。

割譲をうけたならば、
それを維持するために
自らがどうアクションしていくか、

共有ならば、
その共有宣言者が受益者全員に
保全管理を徹底させていくか、

本当に無策な場面しか見ない。

だから、弊社はその徹底こそが、
会社を共有するものの勤めとして、
それぞれが役割を徹底することを主是としているのである。

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