たましいのこと。。
魂ってなんだ?という問いを考えてみよう。
人間と言う存在を物質的と捉えれば
血肉皮骨などや内臓物で構成されている。
なら、、、それらのものを全部組み合わさったら人間動き出すのか?
否、集まっても動かない。
フランケンシュタイン博士みたいに、電気ショックで人造人間をつくることも
実際は難しいのでは?
つまり、、その構成要素以上に
それを機能させる見えない何かの存在ではないだろうか?
別にこれって人間など生物の存在だけでなく身近にないか?
例えば、、
いろいろな資料、材料、マニュアルを一通り集めて他人に渡して、
「すべて渡したんだから、早く作り上げろ」
っていう丸投げのクズたち、、、
お前たちの発想は、、魂の有様がわからない以上に
お前たちの魂そのものを抜き取るべき存在と理解すべきだなあ。
2022-12-09
心魂
2022-12-08
2022-12-07
声掛
声を掛けること
現代日本社会における
声掛が狂い出した。
~挨拶を子供にすること
~返事をしない子供を近隣の人が叱ること
この声掛が悪いとみなされる。
顔見知りのはずなのに
それが社会性を失うのに
自分の子供可愛さが暴走している。
そのくせ
子供に優しい社会とかのたまい、
自分たちを特別に扱うことを求めるのはどういうことか!
そんな一族はもう排除要件のはず
また危険回避のために
注意を促すと
その行為が相手から危険を受けたと言い出す
そうなると注意をしたくなる
その結果、事故を起こした場合
なんで危険と諭さなかったと他人に責任をなすりつける
どうしようもない
やはり無駄にバカな人口が増えすぎたので
人口を淘汰すべきではないかなあ
2022-12-06
2022-12-05
物無
何もないこと。
自分では当たり前にあるものが無い。
自分では当たり前にあるものが無い。
この事実に現代人は
「なぜないの!」
言うどころか、怒り出す。
場合によっては、それで責任放棄までしたがる。
無いのだからない。
それがない前提でどうにかするしかない。
だから、作り出したり、
代替を思考する。
でもないということから、
これは言わなくてはならない。
「前提条件、想定よりマイナススタートでしたから予定が狂っています」と
そうしないと、この状況が相手にどれだけ大変を理解できないどころか
今後もこの苦労を前提に言ってくるからだ。
上述の
「なぜないの!」
「なぜないの!」
言うどころか、怒り出す。
場合によっては、それで責任放棄までしたがる。
無いのだからない。
それがない前提でどうにかするしかない。
だから、作り出したり、
代替を思考する。
でもないということから、
これは言わなくてはならない。
「前提条件、想定よりマイナススタートでしたから予定が狂っています」と
そうしないと、この状況が相手にどれだけ大変を理解できないどころか
今後もこの苦労を前提に言ってくるからだ。
上述の
「なぜないの!」
の発言はこの繰り返しが積み重なっての発言でもある。
物無の社会問題は
あるものがないということによる計画の再立案から考え行動のし直し
物無の社会問題は
あるものがないということによる計画の再立案から考え行動のし直し
以上に
ないことが当たり前になっている側への
こちらが頑張っていることを理解させることが重要だ。
現代人は自分の当たり前を都合のいいほうに理解するからこそ
こちらが頑張っていることを理解させることが重要だ。
現代人は自分の当たり前を都合のいいほうに理解するからこそ
抗議、怒りが芽生えるのだから。
2022-12-02
2022-12-01
水掛
水を掛けること。
でも、現代社会では実際に水を掛けることより
水掛け論という、互いに譲らない意見のぶつかり合いを刺すことが多い。
ここに2つの疑問に答えたい。
なぜ水掛け論というか?
狂言の『水掛聟(みずかけむこ)』に由来している。
詳細は検索してくれればいいが、劇のクライマックスで
口論で意見を言うたびに、水を相手にかけ続ける場面がある。
なぜ水掛け論が現代社会に多いのか?
バカな価値観、個人尊重と議論推進がこうなっている。
個人尊重=利己主義=他人軽視
議論=自己正当=他人批判
が自分が絶対を導き、それを他人に強制する。
でもその他人もまた自分が絶対を持ち続ければ
結果は水掛け論になるだけ。
まー今の社会、水掛け論と何も決まらない方向ゆえに
失われたn年を言い続けることになる。
決まる=他人の犠牲 を正当化できる昭和的思考に戻らないと
この国際社会では太刀打ちできないだろうな。
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