2018-05-11

自明

証明したり特に詳しく説明したりするまでもなく明らかなこと。
これは現代社会では成り立たない。
自明と思っていることはある意味、自分の思い込みでしかない。
それを知らない人に向かって自明と言い出すと、
差別、パワハラになるリスクがある。
個人主義ゆえ、画一した知識教育が必ずしもできるとは言えない。
高等教育、大学教育の差
専門知識の細分化による理解差
から、自分が知っていても他人が知らないことの差が大きい。
それゆえ、ここまでは自明と思っていることも他人が知らないことについて
そうなんだ!って思うべきで、そこの知識差を埋めるための説明が必要であり
知らないのか!っていうのは、他人の侮蔑になる。

この事実こそ、自明だと思うが、
知らないのか!っていう思い込みが自明であることが
現代社会のコミュニケーション問題の源泉のひとつと言える。

2018-05-10

我慢

辛い事を耐え忍ぶこと。
お気づきだろうか?2000年前後から、日本の価値観が変わり
我慢をすることへの経緯、美徳感が失われ、
それはしてはならない、させてはならないになっている。
個人主義の台頭がそれの根源なのだが、
我慢からくる譲り合い、そして我慢をしたから得られる代償が
社会秩序になっていたところもある。
でも、今は価値観の変わり目でもあり、
我慢をしているのに、って思う人に対して
そうしていない人が
「勝手に我慢しているだけ、自分は我慢なんかしない、だから利益は自分のもの」
と言い出すこともあり、相手を不快にさせることが多くなっている。

我慢と個人主義、、相反する価値観なのだが
それが共存している今は異常な状態という認識がないことが
現代日本人の大きな問題なのでは?

2018-05-09

後継

後を継ぐ、後継ぎ。
職人、中小企業の高齢化などで、
後継者がいないとか言っている。
後継者がいないということは、そのビジネスに魅力がないからといえる。
その後継者がいないことを嘆く人が多いが
その嘆くなら、その人が出資や労働を提供すればいいではないか!
現代人は他人事のように言いまくるが、
その発言を言う割には責任ない行動ばかりしている。
後継を望むなら、それに見合う対価、代償がなくては意味がない。

2018-05-08

再鑑

自分が出したお金をお客さんに返す前に別の人にもう一度数えてもらうこと。
転じて、金融業界などでは成果物のレビューのことらしい。
業種業態によって言葉の定義が転じやすいが
その環境に新しく入ってきた人間はその定義について
当たり前と感じると、その環境から離れたときに新しい環境に否定される。
逆に違和感を感じると、その環境になじまずに溶け込めない。
郷に入っては郷に従えというが、
それができるということは、自分の行ってきたことに自信がないというか
自分の価値がないとみなせるかどうかであり、この能力主義社会において
それを認めることは、、、、いろいろと難しい社会構造になっているなあ。


2018-05-07

瑞祥

めでたいしるし。
瑞という字は、めでたいという意味の漢字なのだが
現代人はこの字をあまり使わない。
正統にこの手の漢字が使われていれば、
「これ、やばい」
という用例どころか、もっと古い言葉遣いから考えれば
「有難し」
もなく、
「この結果、、、瑞だね!」
とか言うべきだったかもしれない。
定められた言葉、思うように使われなかったり、そしてすたれていくのは世の常だが、
そう考えると、言語的な理解の勉強って日々変わるから、
初等教育では意味がないのでは?
逆に日々更新するべき自習事項であるべきではないか??
って思ってしまう。

2018-05-02

苦労

あれこれと、体や気を使うこと。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」
子供のときに味わう苦い経験、それが人生においてリスクヘッジの糧になる
が、今はそんなの非効率だ、そして、子供虐待だとなってしまう。

僕の父親はバカなくせに下手な考えをもっていたので、
いろいろと社会に迷惑をかけた人だった。
僕が高校の文化祭準備のときに
いろいろと物入りでそれぞれの生徒が得意分野で借りたり、
買ってこなくてはならなくなった。

立て掛け看板が僕の担当になった、それは
土木業をやっている実家のこともあり、
比較的交渉しやすいと自分も周りも思ったからだ。
人によっては寸胴とかあり、それよりはましだったのだが、

父にお願いしたが、父は協力してくれなかった。
責任感の強い僕は工事現場を周り、お願いをしまった。
雨の日、それを自転車で走り回って、肺炎になりかけた。

さすがに母が怒って、電話一本で容易に現場が貸してくれた。
父はものを借りるのは大変だと教えたかったみたいだが、
僕の父への信頼がなくなるどころか、
クラスメートから父は息子に協力せず、肺炎に追い込んだ虐待する親だ
と思われることなった。

父が思うほど社会は厳しいのではなく、
逆に非協力的な姿勢がバッシングを受けるということを
父は理解できていなかったというのが僕の結論だ。
他人を苦労をさせるのは、、愚かな判断だなあってつくづく思った。

2018-05-01

扶養

自力で生活できない者の面倒をみ、養うこと。
扶養の概念は高度な知能を持った動物がもつ。
基本は育児の扶養であるが、
哺乳類の一部が身体的障害、高齢者を扶養する。
人間は扶養を論理的に考える。
育児は未来の種の繁栄のため
高齢者は今までの社会貢献への報恩
そして、障碍者には社会との責務ということで。
でも、扶養に論理をつける必要があるだろうか?
逆に論理的に考えると、扶養する意味があるのだろうか?
と思うこともある。扶養はただの無駄な行為?
扶養は論理というより、人間という動物の本能としてとらえるほうがいいのでは?
そして、論理的に考える最近の人類の傾向は本能を否定している
自然法則への冒涜ではないかってまで考えてしまう。