2013-03-21

食器


時代は少しづつ進化していることがわかる。
母が買う食器類では、僕のところでは使えないことが
実感できた。

IH対応
食洗機対応

でないと困る。

母からすれば、その概念すらないが
今の食器、調理器具にはその手の注意書きがあるように
日常雑貨においても進化、それに伴う注意書きがされてきていると感じた。

たまたま、気づいただけで
身の回りの多くのものが進化している、
その進化が注意書き等で垣間見れるというということかもしれない。

2013-03-19

懐疑


僕は世の中のすべてのことに懐疑的だ。
科学
健康
信仰
正義
すべてにおいてだ。

考えてほしい。
世の中で言われている
いいこと、それをしていればみんな幸福のはずなのに
全くそうなっていない。
健康や科学もそうなのだが
今までにない、
想定外
という言い訳で、今までのいいことを改訂するが
それはつまり、今までが悪いことだったということではないか?

それを当然のように言うのだから、
全く何を信じていれば、、いや
あまのじゃくのように全てに懐疑的に当たることが
ある意味、責任転嫁もしないまっとうな生き方になるって確信めいているから
今の僕の境地なんだろうなって感じる。

2013-03-18

脚色


「動物を虐待する近隣住民!!」
「迷惑ペットを可愛がるバカ飼い主!!」
この2つの見出しは全く同じ事象を
違う視点で述べているにすぎない。

人間と動物の垣根、躾が重要と思う厳格、頑固な人
自分のペットが一番とおもっていて周りの人もそうあるべきと思う人
という立場、見解から生まれているだけである。

世の中には情報があふれるようになった。
しかし、上記のように事象をそれぞれの主観に脚色してしまう。
脚色されない情報など、、実はない。
自分が直接視聴していなければ、誰かの脚色によって情報は伝わってくる。

溢れる情報をいかに選ぶと騒がれているが
そうではない。
脚色されている情報からいかに本質、本来の情報をうまく抽出するか
そして、、、いかに自分に都合のいい情報に脚色していけるか
それが今の人間には求められているという事実を悟ったもの勝ちともいえる。

2013-03-15

圧迫


押し付けることなのだが
圧をかけるということは攻撃するということになる言い切れる。
攻撃的行為は
突く
切る
叩く
と3つに分類され、どれだけ高密度での圧をかけるかということだろう。
そして、より低次元に近づくほど威力が高まる。

叩くは面での圧、、3次元
切るは線での圧、2次元
突くは点での圧、1次元

といえる。

圧、攻撃、次元を関連付けて考えるることは
日本人はかなり理解しづらいようだが、結構
料理、自衛、建築においては重要な視点とされているのだがね。

2013-03-14

実権

社会の関心が二極化しているような気がする。
ある集団では役職をみんなが欲しがるが
ある集団では役職を自分以外になすりつけようとする。

国会議員の大臣の椅子は欲しがるが
その議員の小学生時代は
学級委員長にはなるどころか
弱い奴に押し付けていた、、ということは当たり前のようなの話だ。

なぜか?
それは役職と実権が咬み合わないからである。
役職についても実権がないのであれば
やっていても全く意味が無い。やるだけそんな仕事にはなってしまう。
対して、実権がある場合はその実権のもと、やりたかったことができるので
その役職になることがある意味モチベーションにもなる。

ただでさえ、意味のない学校生活。
だったら、学級委員長に実権を持たせて
賞罰できるようにさせたら、
今社会が求めている
リーダーシップのある人材が育つと言い切れる。
実権を得たもの、得られなかったものがどうなるかを
身を持って知るから。

けど、
子供を見下す教育委員会、
罰が体罰とかでもめている
この日本社会では、、到底ムリな話だけどね。

2013-03-13

振幅

実に多様な使われ方をする。
物理的には、振り子のように弧を描く運動
実験的には、計測器の針が動き、事象が現れているさま
実力的には、いいとき、悪いときと安定しない有り様
と振幅という言葉だけでは一体どのような使われ方をしているのか
特定できない言葉といえる。

実際問題、
振幅という言葉が多義語として使われているというより
自分の伝えたい思いの表現として、振幅という言葉が使い勝手がよかったといえる。

多義語というものは基本
使い勝手がいいものだから、いろいろなところで使ってしまう。
しかし、、使い勝手がいいのは使う側であって、
それを使うように習う側になると、、厄介な言葉になっていることは
今の受験生の英語の多義語の勉強で、多くの人は経験済みだといえる。

2013-03-12

減点

人間は
自分については加点で採点、
他人については減点で採点、
これはいわば、本能的深層な考え方なんだろうなと思う。

自分をアピールするときは

「こんなこともできる」
「あれができるようになった」

というが、そう言っている当人が他人に接すると

「あれができていない」
「まだ言っている能力を出していない」

と言い出す。

具体的なところで査定の書類がその典型例で
自己分析は加点式書かせるのに
それへの評価は減点式で書かれるから
いろいろな意味でストレスが溜まる。

相手本位に考える時代といわれるが
実際問題、深層レベルで自分と他人への視点が違うことの自覚、それをどう変えるか
を自分なりに導くことができないと、、いや だから
コミュニケーションによるストレス過多になるということだ。