戦いの局面・なりゆき。
平和ボケの日本においては、この言葉を使うのは
スポーツ、選挙などの競い合うときに使う。
しかし、競うということは戦うということと同義であり、
勝つと同一のゴール用語で話しているのだが、、、
戦争を否定しているくせに、世の中は基本、
戦争前提の言葉が充満していることに矛盾を感じないのか?
戦争否定を口にすることが、僕はあまりにもバカすぎて恥ずかしくないのか!
って強く思ってならない。
よく人間が安易に使ってしまう '熟語'をタイトルを挙げて、 その熟語に対して、 辞書的に意味、 現社会において意味が改悪されつつある事実、 について CEOとして、 自分の経験則として、 の見解を論じようと思う。
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