社会的に批判を受けるとかもしれないが、
救済は悪いことと言いたい。
救済は字のごとく
困っている人を助ける意味であるが、
現代社会において、
救済行為が社会をダメにしている。
する側もされる側もである。
救済される側になくてはならない概念として
救済されている意識がなくてはならない。
自分には何かしらの救済を受ける条件があるということ
ある意味の非がなくてはならない。
その意識がないと、
他人が労働して得られる対価を
自分は何もせずに得られる特権、、、貴族意識を導いてしまい、
永遠にその特権にしがみついてしまう。
救済は時限的でないと、ならないはずなのにだ。
対して、
救済する側も認識がおかしくなる。
救済される側の自立に対して
仕組みを作ってしまうほうが効率的と思われていた。
その仕組みが目的をもって機能していればいいが、
救済される側と同じように意識がないと
タダの資金プールの温床、
何もせずに参加することに対価をもらえるという認識になってしまう。
現代社会の救済行為は
自立、公正から見れば社会悪である。
救済よりも市場競争、自然淘汰の脅威から
回避方法を時限的に教えるという
より具体的な各論で行うことこそが、
結果的に社会が公正されるものである。
消えるべきものが消えて
新しいものが新たな価値を生み出すことをしなくては社会は進化しない。
また消えるという恐怖の事実が
動物に大きな進化への起爆剤となるだろう。
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