勇者になること、、それは最強の敵になること僕は確信している。
ゲームや物語の主人公が勇者として
既存の社会制度に対して立ちあがり、
その社会制度の根幹を駆逐して新しい社会に変えるという
ステレオタイプのパターン。
作品が違っても多くの人の思いにそれぞれの作品が思いつく内容である。
僕がいつも気にするのがその後だ。
たぶん、その勇者が祀り上げられて、
新しい社会を気づくが、それが次世代の勇者に潰される社会の始まりだろう。
勇者に解放された部落は繁栄する
勇者の仲間は重鎮になる。
しかし、それは
悪の根城
中ボス
を作ったにすぎない。
視点を変えれば、
勇者に倒されたラストボスの存在は
倒されたその存在は、まわりの方々からすれば
名君だったのに、新しく来た悪の王が倒して
悪政をしくようになったととも見えるのである。
自らの信念で社会をかえるということは
他人の視点からすれば、
勇者にも悪の王にも見えるのである。
みんなのためになんて考えて生きていても無駄である。
ただ、自分の思いに忠実あればいいとつくづく感じる。
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