2018-03-30

一双

二つでひと組をなすもの。一対(いっつい)。
一番使われるのは、、屏風となっている。
しかし、屏風、現代日本において、一双を置ける場所どころか
屏風そのものを生活から消えている。
屏風が防風機能から調度品になり、、、そして、今は存在そのものが消えてしまう。
存在そのものが消えた理由は、
一双と場所をとるからか、
それともその機能価値なのか?
気にあるのは、箸や靴など、一対で存在するものに対して
一双という単位を当てないことから、この一双という言葉自体に価値は
無くなりつつあるのかなって思ってしまう。


2018-03-29

胸襟

心臓=心とされるので、その心臓が格納されているのが胸元。
そこを他人に見せることを開くとしてうちあける。うちとける。
という意味になっている。

相手に胸襟を開く。それはある意味リスクになっている現代社会。
ちょっと前までは相手がそこまで自分に歩み寄ってきてくれたという思いが
日本の情緒だったと思う。
しかし、今は個人の思いの時代。
相手がどうしようと、自分は自分、
「歩み寄ってくれたから何?」
「自分はあの人と関係ない!」
という言い出すことが多い。

でもそのくせ、他人には、
「本心をいえ」
「こっちに打ち解けてこない」
という。

胸襟を開く、ではなく
胸襟を開かせるという思いでは
どんどん社会は閉鎖的になっていくだろうな。

2018-03-28

職権

職務上もっている権限。
主に権力に近い公務員がその力を濫用することが問題される。
職権を公私混同することが問題というが、
社会人である人間を立証するのは、その職業、所属を公にすることがよく見られる。
職権とはある意味、その人間の存在価値そのものかもしれないのだが、
逆説的に言えば、職権が自分の望む形になっていない非正規雇用者などから
その職権を示すことがハラスメントに感じることにつながったりする。
なんか、社会が機能しない、できないようになりつつあるなあって思ってならない。

2018-03-27

醸成

酒などをかもし出すこと。
転じて、ある機運・情勢をつくり出すこと。 
醸は発酵効果のこと。
あるものが変わっていく様である。
つまり、変わっていくことが重要である。
変わると言うことはプラスマイナスがあり、
プラスのように見えても、マイナス
マイナスのように感じても、プラスなことがある。
匂いだけを嗅ぐと臭いが味や栄養はいい納豆なども発酵、醸成である。
変わることがどうなるか、いやどうなっていくものをどう使うかが
人間の知恵そのものかな?って思う。



2018-03-26

鬱血

血栓などの様々な要因によって
臓器組織内の静脈や毛細血管内の血流が停滞し増加した状態。
内傷にあたり、結構やばいといえる。
血は体をめぐることが常の状態だからこそ、
そこにとどまることはその先の臓器、機関に栄養などを届けられなくなる。
鬱血という状態を知れば知るほど、人間、動物という存在は
静止することはなく、水のように流の状態こそあるべき姿って思ってしまう。
だから、じっとしていることとはある意味、あるべき姿でなく
なんか悪い事象をおこしかねないって勘ぐってしまうなあ。

2018-03-23

自学

自分で学ぶこと。
この言葉はありそうでない造語のようだ。
自学の反対語は他学なのか?そうとも言えない。
そもそも、学ぶとは何か?学習と勉強の違いもそうだが、、
辞書で調べると
勉強するとは、学ぶこと
学ぶとは、勉強すること
となっている辞書がいくつかあるくらい、定義できないとされる。
逆に英語の
study learn は明確で
study は研究となり、まだ知らないことを詰めていく行為
learn は学習であり、事実を覚え、習得して自分のアクションとできること
となっている。
deep learning というが、deep study とは言わないし
学生はlearner ではなく、student と研究、研鑽を存在となる。
学ぶという行為がそもそも、learnに近いのであれば、
学ぶそのものが自学という意味であり、あえて自学という言葉を当てる必要はないが
日本語の難しさ、添え字というものもあるだけに、、難しいなあ。

2018-03-22

一律

一様。同じぐあい。
現代人の特性は自分は特別、他人たちは一律を求める、強制したがる。
「なぜ自分がこんな目に合うのか?」
「他人はそれでいいが自分はそれでは困る」
「周りが同じような対応してくれないと自分が苦労してしまうではないか」
この発想にそろそろ飽きてきた。
自分が特別という発想が出た時点で
強制的に義務権利の失効をさせて、
弱肉強食の社会に変えるべきだと思ってならない。
カスタマイズ、、顧客志向のいいとこどり。
不便を感じているところ商機はあるが、
そもそも商機の目的である支払い、責任能力のないところに注力すべきではない。
一律で皆等しくというが、何のために他人より苦労して稼いでいるか?
それは特権を得る、、いや特権を買うためであり、
それが本来の資本主義経済の有様ではないだろうか?