2014-08-29

航空

飛行のための装置(航空機)の、設計・開発・製造・運用・利用などを
広く指すための概念・用語

ライト兄弟以来、有人飛行という概念が今にいたり、
人が空を飛ぶことが目的から手段になってきている。

陸路からより行動範囲のとれる海路に進化したものが
より三次元的に自由になった空路というもので
行動範囲の自由が高まった。

逆にその分、
手段となったことで抱えるリスクの高さも大きく、
陸路、海路と異なり事故が起きた場合の死傷率がきわめて高いといえる。

人が空を飛ぶということは
宗教的、自然哲学として許されるものではないが
そのリスクがある意味、自然調和となっていると捉えられる。

身近になった航空。
今ではLCCという概念で
コスト面でもより身近になってきてもいる。

だからこそ、
その航空というものの概念とそのリスクを考えながら
恩恵を享受すべきだといえる。

事故が起きる、おきたとき
それについて、被害者でいるべきだろうか?
自然の摂理に逆らうことを自ら選んだ結果という感覚を
一つの価値観としてある事実から目を背けるのはいかがなものだろうか?

2014-08-28

提言

自分の考えや意見を出すこと。

コミュニケーションとか、
自己表明とか、
重要なことといわれるが、
実際のところ、提言より重要なことがある。

それは、地位の確立である。

いくらいいアイデアの提言でも地位がないとだめだし、
逆に大したことのない提言でも地位があれば、まかり通る。

バカな人ほど、
いい提言があればそんなこと関係ないとかいうが、
現代だと、そいい提言だとしたら、
地位がある者がその提言をいかにも自分の提言としてしまうのが実情。
逆に、いい提言であれば、自分の地位と相談して、表明をあえて控えるべきといえる。

こういう事実、なぜ日本では教育しないか、、本当に変な社会に感じてしまう。

2014-08-27

残業

世間ではようやく認められて、某商社も推奨し始めてきた。
早朝シフト。

そもそも論をいうとしたら、、、
残業という概念。
それは戦後からの高度成長期の3Cにつながっている。

戦後の人口密集、
経済の劇的な成長、
物欲が社会支配していた時代。

家に帰っても娯楽もないどころか、
暑い寒いの住居。
その点、職場はクーラーが完備されていた。
そして、働いた分、経済活性につながっていたので
給金にそのまま反映させても問題がなかった。

だから、残業ということが推奨されて
遅くまで働くことが高い価値だった。

その価値観のまま、今の社会人はいるが、
経済は停滞
娯楽は飽和状態
一家にほぼエアコンが完備
の状況下で、無駄な残業はまったく意味がない。

逆に、効率よく働くことが求められて
残業することが経済的に負担になっているとまで言われている。

定時どおりの稼働、
少しでも作業をこなしたいのであれば
残るのではなく、早く来ることで時間を有意義に使え。
それがこれから求められる社会だと僕は思う。

だから、
定時以降に、打ち合わせを入れることを当たり前になっているビジネスは
少なくても5年以内にビジネス的に破綻、ビジネスモデルの再検討を推し量ることになるではないかと
思っている。

今までの常識、これからの非常識、、、いや社会悪となることは
多くの社会生活で見受けられているだけにね。

2014-08-26

施策

ほどこすべき策。
実行すべき計画。

企業、国家ではそのかじ取りに施策が問われる。
そして、結果だして出さなくても批判される。

結果を出しても批判される?
首をかしげるかもしれないが
現代社会の施策というものはそういうものだ。

いい施策があるって当然という論理だから
結果を出さないことに対して、
批判をされることは必定である。

その上で
結果を出した施策を継続したり、
その施策に傾倒するすると、
先を見ていない言い出す輩多い。

批判する側は楽なもので
「いつかは失敗するリスク」
と言い続けていればよく、各種要因で結果が芳しくなくなると
「ほら、みたことか!」
って言い出せばよい。

僕は施策を講じる側として思う。
批判するということに価値を感じている現代社会は
王政時代に庶民が批判できなかった社会より醜い結果になるのでは?って。
なぜなら、施策は長期的やり続けることが重要で
やらないより、やること
やめるより、やりつづけること
が出来なくなることは発展性がないといえる。
施策批判は、、無価値、いや罪というべきではないかと、、

明らかに悪い施策も批判できないのか、、という愚かな意見ではなく、
それよりいい施策を講じることが重要であることを一度考え直すべきだということに。

2014-08-25

開錠

セキュリティーが問題になっているが、
実際問題、
施錠より、開錠が問題だと僕は思っている。

セキュリティーをかけるという発想。
その行為により、通常よりアクションに支障がおきる。
それは安全のために仕方がないこと。
って割り切れているだろうか?!!
そんな都合のいいわけがない。
むしろ、セキュリティーがあるけど、よりよい効率的、生産的なアクションを
社会は求める。

それゆえ、開錠方法が独特にそして、違法的になってくる。
多くの人間の愚かな勘違いは
開錠されたことで安全性が失われての被害だと思っているが
そうやって、施錠やら安全性とかで圧迫しながらも強いる強制活動のほうが問題で
その問題へのはけ口が被害だと僕は確信にいたっている。

施錠の多くはかける側の論理ではなく、
かけさせる側の強制。
対して、開錠は使う側の利便性。
開閉の目的がかみ合わない以上、被害は永遠になくならないといえるだろうね。

2014-08-22

遵法

法律に則って行うこと。
今までは、正しいといわれてきた。
そう、もうこれは今まではって言い切るべきだろう。

グローバル、そして地政学的政治問題が多発している昨今。
自国の法を根拠に他国を多角的に攻め立てる根拠になっている。

我が国に著しく不利益を与えるから、
我が国に定める法令に基づき制裁を加えるという論理は
遵法そのものの行為である。

これは今に始まったものではない。
アメリカのスーパー301条は
アメリカの遵法を相手国に強要している。
たとえ、相手国が自国内において遵法であってもだ。

この点に関して、
盲目的に、アメリカは正義、正しいという
妄信的な信頼をさせられている日本の世相があるが、
それは経済、武力の脅威にさらされているだけで
法が屈しているにすぎない。

遵法という論理ははっきり言えば、、
逆らうだけの力があるかないかだけの問題、
隷属であることというの証明に過ぎない。

2014-08-21

偏食

好き嫌いなく食べないといけない。
けど、周りを見渡してほしい。
好き嫌いが激しい人ほど
仕事ができるような気がしないか?

かのイチローも、食べたくないものは食べないとポリシーを小学校から貫いていて
担任を怒らしても、自分を貫いたそうだ。

ある意味、自分の意見にこだわる。
とりわけ、口にするものを、、

世間でいう
いうことを聞くように育ている教育の結果が今の社会であるなら
それに背いた結果、社会で大きな結果を出していることが多い。

偏食と人を蔑む言い方をしているが、
なんでも食べるほうが鈍食という愚者なのではないかって思ってしまう。

社会の価値観、、
それに従うことって案外無駄なんだろうな。

2014-08-20

立派

威厳があって美しいさま。堂々としているさま。また、非常にすぐれているさま。
僕は立派であることとは、何かを犠牲にしたということだと思っている。
何もかも持っている人は立派という表現を用いられることはまずないだろう。
立派には苦労、悲しい過去がなくてはならない。
逆に立派とは、マイナスからの今に至っていることへ工程への賞賛である。

~立派な人になろう!
ってことは、現在の生活を認めていない、親、周りの人に
失礼なことを言っているってことでもある。

案外、人はこの事実に気づかないが
結構、他人に失礼な言い回しだったりする言葉ってあるもんだ。

2014-08-19

利害

得することと損すること。
利害の一致という表現などで使われる。
人間社会の利害関係って
複雑なようだったり、案外単純だったり。

いや、結構感情的になっていたりしている。

利害というものの根源は
それで笑顔になるか、怒りにつながるかである。
他人から見て、それは損をしているとしても
そこで関係を維持できることこそ、利益と思う人は
「長期的なパートナーシップに向けての投資」
という発言をする。

逆に、絶対的に金銭的に好条件であっても
該当環境、しいてはその人間が嫌な場合
「行うことによるリスクが高い」
という言い方をする。

論理、説明といっても
自分がいい、いやだ、ただそれだけが利害の根源といえる。

2014-08-18

賠償

他に与えた損害をつぐなうこと。

近代法では、
賠償責任は個人、当人に帰属して
その一族、、保護責任がない親族になどに派生しないことが原則である。

しかし、どうだろうか?
国家を法人として
未だに、敗戦国扱いされる日本、
もう戦争経験がない人口のほうが多くなっているのに、
未だにその責任を押しつけられる。

いいように、不戦意識を洗脳しているが、、、
それをさせているアメリカは
どんどん宣戦布告、開戦している事実がある。

賠償は、負けた側が払うものであり、、
実は正しさは勝った側の論理でいくらでも立証できる。

いつまでも賠償求められるなら
その倍賞を贖うために、勝つために、、、
という発想も間違っているとはいえないことを
強く意識すべきだと思う。

2014-08-15

霊魂

霊魂とは何か?
夏になると定番の命題といえる。

定義的には
肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの
とされる。

しかし、そういう学術的な話ではなく
興味本位の怪談による背筋が凍るの間隔
風習的なお盆による死者を向かいいれる習慣

それによって、霊魂は身近にとらえている。
学術的な検証など考えずにだ。

ある僧侶曰く、

供養された魂は香りを楽しむ。
だから、
線香や香りのいい花を添えるし、
お供え物もそのものを開封してその香りを味わってもらう。
香りを楽しんだ後のお下がりは
生きている我々が食べることのほうが、
供養された者と一緒に味わい、ものを大切に扱う心に通じる。

すごくこの言葉には趣がある。
霊魂という見えない存在への敬意
そして、現世の人々とあの世の霊魂への共生を説いている。

とかく論理的、科学的を求める現代、
上記なような感覚を持って、
見えない
いや、見ようとしていないものへの敬意を再び呼び起こそうではないか。

2014-08-14

割入

相手がたの話し合いに割って入る。
最近は極力控えるようにしている。

割って入ることは
・気づいていない認識情報を対象者に伝えること
・自己能力の立証
という効果があり、自己主張においては恰好の場ではある。
また、知っていることを相手に伝えるということで
世間で言われているコミュニケーションを円滑にさせるということでは大きなポイントといえる。

しかしだ。
その行為はいかんせん機能していないといえよう。
・気づいていない認識情報が欲しているものとは一概に言えないし、
 それが必ずしも正しい情報かどうか
・そこにその当人がでしゃばってほしくない
・円滑なコミュニケーションというものはみんな集まると収集がつかない
ということが起きている。

人の思惑と相まって初めて成り立つコミュニケーション。
割って入ってくることをコミュニケーションとしてwelcome と感じている幻想で
どれだけ人間関係が失敗しているのだろうか?

統計的に証明しているように
コミュニケーションを取り出されるようになってから
精神科の人間関係ストレスが増えていることは
ある意味、本末転倒な愚かな社会と言えないか?

2014-08-13

蜜蜂

蜂蜜を作ってくれる蜂という認識だと思うが、
実はそれ以上に重要のは、果実の受粉だそうだ。

果実はめしべにおしべの花粉が付き、それが受精して初めて果実になる。
その受粉行為は人的に行うより、
蜂の蜜採集で行われるとき、蜂自身に着く花粉を介しての受粉が一番いいらしい。
これは自然の長い歴史で
受粉を蜂に頼る植物はよりよく受粉できるように
蜂の行動に合わせて、蜜の位置、おしべの花粉の位置を工夫して
また、雌花側もその花粉をうまくつけてもらえるように
進化して来た結果であり、それに従った蜂もまた進化した結果となっている。
蜂と植物の共存関係が成り立っているといえる。

それだけでなく、その蜜蜂と植物を生業にしている人間も
その共存関係の延長上にあり
養蜂家
農家
持ちつ持たれつの関係だそうだ。

それゆえ、
先の蜜蜂を盗む事件というものは
蜂やその蜂蜜を盗むという行為だけでなく、
自然の共存関係
人間社会の共存経済
をも脅かす大きな事件だった。

たった1cmくらいの蜜蜂かもしれないが
それが自然、人間界において大きな役割を担っているとよくわかった。

2014-08-12

水鉢

水を入れておく、、、なかなか人手で動かせないもの
という認識であるべきかな?

旧家で大きな水瓶にメダカを飼っているとき、
その水瓶は水鉢と呼ばれたりするし、
お墓の線香を置く香炉の上にあたるくぼみも水鉢である。

と書くと、水鉢の水は飲料水とは言い難い。
水鉢は人ではないもののために注がれるものである。

こんなことを考えて、、ちょうどお盆のお墓詣りを行かれたらどうだろうか?

2014-08-11

冷涼

ひんやりとして涼しいこと。
定性的、相対的な温度なので、
人によっては異なる感覚といえる。

現代は暑いとなっている。
夏日というのが30度以上とされていたのに
猛暑日という35度以上の気温が言われるようになってきた。

だから、日によっては20度台でも
冷涼といわれる可能性がでてきたといえる。

この冷涼感への認識は
未来はどこまで変わっていくのだろうかって思う一方
本当にこの気温がこのまま上がっていくのは
二酸化炭素?
室外機によるヒートアイランド?
と人為的なこと?それても
地軸のせい?
いろいろと考えてしまう。

2014-08-08

略図

要所だけを簡単にかいた図。

略するということはいくつか省くことになる。
省く内容を間違えると、略図というより
別のものになってしまう。

略するということは
捨て去る技術のであり、
なんでも欲する現代社会の人間には難しいことになっているといえよう。

2014-08-07

公費

国または公共団体の費用。
庶民は、政府、自治体に無駄使いをするなっていう。

、、、、愚かすぎる。
公共サービスって基本、市場論理で賄えないからこそであり、
見た目上は無駄遣いにみえるからこそ、公共サービスである。
それを無駄遣い、節約って言いながら
公共サービスの向上を求める愚かさになぜ気づかないのだろう。

はっきり言えば、現代人はもう限界である。
安くていいもの、というものはいくら知恵を絞っても出てこない。
それは現代人がもうそれだけの能力がないのだから。
もうあきらめて、ほしいものを得るためには多くな負担を支払う。
支払えなければ、我慢、、いやあきらめてみじめになるべきだ。
そうなるからこそ、
「貧乏いやだから、頑張ろう」
っていうハングリー精神が芽生えるわけで、
公費に甘えるなって。

2014-08-06

作品

最近、
今流行の事件のせいで、
表現作品が自粛、クレームがつきやすい。

全く馬鹿馬鹿しい。
考えて欲しい。
プラトンの饗宴という古い古典にも書かれている。

<作品は永遠の命を持つ。>

作品を出すという創作活動は
今だけではなく、それ以降の人類に向けてであり、
一過性の今の事件、しいて言えば現代生きている人間のみに阻害されるものではない。

まして、その作品の触発されて模倣犯、その事件の当事者たちの気持ちとかいうが、
そういう発言をしている輩が
模倣犯にならないような自己努力
当事者たちの気持ちがわかるならそんな発言にはならない はずだろう。

生産性の輩ほど、文句ばかり言い出す。
創作活動を阻害すると、、、のちのちの文化に影響する。

作品は未来に残せすが
バカの民意は何も残らない事実をもっと強く意識すべきだ。

2014-08-05

念頭

心の中の思い。胸のうち。
ある意味、気になること、心配事と言い換えることもできる。

念頭に置くという表現は基本、一人称。つまれい自分自身に向けて使う。
自分に起きている心配事だから、自分しかわからないはず。
それを他人に理解されることを望んではいけない。

ただ、最近はやたら、他人に干渉、使役する行為が気になる。
「なぜ、あれを念頭に置いていないんだ。」
「念頭にないとはどういうことだ。」
ってあるべき発言ではない。

これは、指揮命令が徹底していない、できない社会制度の問題だろう。
その人に命令する、責任を取るということができれば
相手への念頭発言など、、そもそも、その人への指揮命令が当人の念頭事項になるのに、

自由、個人主義がかえって、
人の精神まで干渉するという皮肉さにそろそろ築くべきだなあ。
指揮命令を悪いことではないのに、、

2014-08-04

使回

同じ物体を都度都度、幾度も使うこと。
物を有効活用、効率的、そして大切に使い、そして経済的とされる。
ある意味、そうなるべきだと風潮が高い。
しかしだ。

こと自分の物になると人は嫌がる。
衛生
接客
という理由で、他人と同じものを断る。
そして、その風潮もまた認められている。

とりわけ、医療面では、衛生もしかしたら、感染でとかいう。

僕からしたら、使い回しを使った医療でダメになる人間は
自然淘汰されるべきではないか、もしくは使い回しされないような
自主的な自己健康管理をすべきだといえる。

この意見が極論という輩がいよう。
現実を直視させよう。。

今長寿を迎えられているご老体の多くは
今の衛生基準とは程遠い、不衛生、使い回しを平気で受けて来て現在まで生きている。
そんな人たちの免疫力あってのことであり、
衛生とかを口にして、免疫力のない劣勢種が
ガタガタ言い長生きする価値があるだろうかといえる。

2014-08-01

苛烈

厳しく激しいこと。
程度表現であるが、一般的には使われない。
多くは争い事に使われることが多いといえる。

苛烈な争いとは、いけないことだろうか?
多くの人々は争い事を否定するが、
苛烈な技術競争
苛烈な試合
というと、それは好意的に翼賛する。

僕からすれば、全く同じ
負ければ、財布か肉体にダメージをうけることは変わらない。
まして、戦争より、
技術
試合
で負けたほうが、多くの人の人生が崩壊する社会なのにね?

人間って不思議な生き物と思ってならない。