2016-09-09

本分

人が本来尽くすべきつとめ。
、、、、というがこの言葉は限定的なステレオタイプ

学生の本分は勉学

でしか使わない。

現代社会は、限定した用途を好まない。
なんでもできる可能性を持つことが尊ばれる。

、、、となると、、学生は可能性の象徴なのに、本分が勉学といいきるのは
現代社会においておかしくないか?

これもまた、現代人の愚かしさで
自分の思い込みの定義でないと不安になる。
自分には可能性
他人には確定した定義の固執
これゆえ、人間社会のストレスが消えないといえる。
まー、こういう業に抗うのが、人間の本分なのかもね。

2016-09-08

混然

すべてがとけ合って区別がないさま。
英語で言えば、chaosといえよう。
chaosは、混沌の意味があり、
善悪の判別がない状態といえる。

善悪がないというのは無秩序とされるが、
現代社会もそう、、混然のようなものだ。

自分の正義は必ずしも他人の正義ではないどころか
相手からすれば、悪だったりする。
何が正しく、何が悪いか、
混然一体の社会といえよう。

もっとも、善悪がしっかりした社会は
洗脳された社会で個性や新規アイデアなんて生まれないのもまたなのだがね。

2016-09-07

投機

短期的な価格変動の目論見から、利ざやを得ようとする行為。
もともとは禅の仏教用語であり、師弟の心機が投合することを言う。

投機は投げるという言葉から1wayつまり、一通であり、
結果的に大きなもの化けてくるか、もしくはそのままなくなってしまうかもしれない。
投機と反対は貯蓄ともいえる。

最近の現代人は投機行為と貯蓄行為の判断ができない。
投機なのに、元本保証がないだの言い出す始末。
言えば通じるという思いがあるのだが、僕からすれば自分の間違いの正当化で
はっきり言えば、生きる価値がないくらい見苦しい。
投機の失敗からいろいろと学ぶことが人間性の向上だと思うが
その概念がなくなっている現代市場経済らしき社会って本当にあるべき社会なんだろうか?
って思ってならない。

2016-09-06

会談

面会して話しあうこと。その話しあい。
庶民同士での会話を会談とは言わないので
大物、権力者同士のときに使う。

会談で決まるとかいうが、本当か?
基本話し合いで決まっているのではなく、
その前後に金銭、生命のやり取りの結果が会談ではないだろうか?

なぜ人間は話し合いで決まると思い込むのか?
その祈り、その勘違いが今の社会の不公正、戦争がなくならないでは?
話し合いでかみ合わないのだから、不満が戦争になる。
話し合わず、殺せば不満も戦争もないという極論が真実だったりするのに、、

2016-09-05

忸怩

深く恥じ入るさま。
なんか現代人は、悔しがる憤るといった使い方をしているようだが、
実の意味では、恥ずかしい様である。

派生して、
喧喧諤諤(けんけんがくかく)な議論とかいうが
「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」=大勢の人がやかましく騒ぎたてるさま
「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」=正しいと思うことを堂々と主張するさま
を混ざって言っていて、使っている人は忸怩たる思いをしてほしい表現。

言葉は進化するとか、変わっていくというが、
間違って使うことに忸怩たる思いをしない愚者によって
正解が歪まれる、、ある意味悪しきことではないかって人間を見下してしまう。


2016-09-02

改革

制度などを改め変えること。
改革
改善
改良
などの改という文字が多く使われている。

多くの人は良くなると思って使うが
現実問題、必ずしも良くなるとは限らない。
しかし、面白いもので建前としては良くなったと言わざる負えない。

改革なんてものはいわば、
新しい権力者が自分の権力を濫用するためのものということなのだがね。

2016-09-01

斥候

敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける(少数の)兵。
近代戦術において、斥候の地位は高いはずなのだが、
軽視されやすいのが、現代人の認識の甘さ。

孫子いわく
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」
相手と自分の状況を知ることが
最適化された対応ができる。

そのために、斥候としての調査コストが重要である。

しかし、何も物理的な成果物が伴わないから評価しないという発想も根強く、
それゆえの経営停滞がよく見受けられる。

いいものを作れれば売れるという発想ではなく
何が売れるかを調べてから売れるものを作るという発想に
固執する人たちを見ると溜息しかでないよ。