人が本来尽くすべきつとめ。
、、、、というがこの言葉は限定的なステレオタイプ
学生の本分は勉学
でしか使わない。
現代社会は、限定した用途を好まない。
なんでもできる可能性を持つことが尊ばれる。
、、、となると、、学生は可能性の象徴なのに、本分が勉学といいきるのは
現代社会においておかしくないか?
これもまた、現代人の愚かしさで
自分の思い込みの定義でないと不安になる。
自分には可能性
他人には確定した定義の固執
これゆえ、人間社会のストレスが消えないといえる。
まー、こういう業に抗うのが、人間の本分なのかもね。
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