短期的な価格変動の目論見から、利ざやを得ようとする行為。
もともとは禅の仏教用語であり、師弟の心機が投合することを言う。
投機は投げるという言葉から1wayつまり、一通であり、
結果的に大きなもの化けてくるか、もしくはそのままなくなってしまうかもしれない。
投機と反対は貯蓄ともいえる。
最近の現代人は投機行為と貯蓄行為の判断ができない。
投機なのに、元本保証がないだの言い出す始末。
言えば通じるという思いがあるのだが、僕からすれば自分の間違いの正当化で
はっきり言えば、生きる価値がないくらい見苦しい。
投機の失敗からいろいろと学ぶことが人間性の向上だと思うが
その概念がなくなっている現代市場経済らしき社会って本当にあるべき社会なんだろうか?
って思ってならない。
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