この言葉が出てくるときにいつも思うのが
劣勢の人間が自分を正当化するときに発することだ。
~命がかかっているから助けないなんて
~困っている人を見捨てるなんて
というが
~なぜ、命がかかっているのか!
劣勢の人間が自分を正当化するときに発することだ。
~命がかかっているから助けないなんて
~困っている人を見捨てるなんて
というが
~なぜ、命がかかっているのか!
~困っている原因は?
という根本的な問題を無視して言い分ばかりじゃないか!
助けを求めて助けることは
ある意味、自然淘汰というサスティナブルを無視している
自覚はないのか?
今まで横暴、因果の結果を
自分の都合で他人に迷惑をかけていることへの
自責はないのか!
と感じてならない。
人でなしと口にする人間は
そのセリフで自分の正当性を誇示して
それが通った場合、自分が正しいことをしているという
他人への迷惑の反省をしないのだから
真の意味での人でなしなのだが、
それを正しく理解できる人間は今の社会は
愚かなほどまれだろうな。
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