2019-05-31

使慣

使い慣れる。
その行為、行動が当たり前になること。
一見すると、とても普通なことだが、これには悪意が内在する。
使い慣れる、それがあって当たり前になると
ないとき、使えない状況時に人は他者にできないことを責める。
本来なら与えてもらう恩恵がいつの間にか義務、役務になっているからだ。
電気を使える権利から、停電になった責任を説いたり
無償で提供されている恩恵に、使い勝手が悪いから直る責任があるなどと言い出す。
人間自分の置かれている立場、得ている権利の源泉、法源を今一度みなすべきだ。
使い慣れているからこそ、その恩恵の意味を感じるべきだと思ってしまう。

あなたが当たり前と思ったり、憤っていることって根拠がおかしくないか?!っと。

2019-05-30

成約

契約が成り立つこと。また、成り立った契約のこと。
成約した時点で時はフィックスする。
それが契約主義なのだ。
しかし、現代人は
~時代は変わっているのに、その内容では意味がない
~契約したんだから、今の求めているものを提供しろ
と悪ぶれずに平気で言い出す輩が多い。
未来予測、社会潮流を考えて成約していないほうが悪いし
その成約までに履行義務者は準備、成約後にはその提供に向けて活動しているのだ。
どうも、自分はいい、他人はダメということが自己主張と勘違いしている輩が多い社会になっていることにかなりの危さを感じている。
もともと、現代社会は破綻しているのだが、この認識観の中にいると他人と関わりを持つということは損でしかないなあ。

2019-05-29

深夜

真夜中、
基本、現代人は時計に支配されて行動している。
だから、22時から05時台は深夜扱いとみなすと
その時計に従った労働基準法で定めた定義になっている。
今、24時間稼働が問題になっている。
24時間労働に耐えられないコンビニエンス従事者の訴え。
対して、人によっては深夜に明かりがついていることがいいと言い出す。
それがお客の声という。
でもおかしくないか?深夜に明かりがついているが
その明かりに見合う支払いをしていないことが多い。
コンビニエンスは慈善活動ではなくビジネスだ。
深夜稼働は労働基準法に従うそれなりのコストがかかる。
ビジネスは需要と供給があって初めて成り立つ。
深夜稼働を求める声があるのであれば、
それ相当の商機、利益がないとならない。
他人に善意に甘え、当然と思うことを顧客の声とか言い出す現代社会は
本当に市場経済なんだろうか?


2019-05-28

病魔

病気を起こさせる悪神。また、病気のこと。
病気を予防するということはわかるが
僕が思うに事故と病魔にかかるは同じだと感じる。
いくら健康に気を付けている人でも病魔に蝕まれることが多い。
いや、逆に健康を意識している人ほど、その健康と違うところで病魔にかかったりする。
健康ということで騒げば騒ぐほど、神経質、ストレスが病魔を呼ぶのでは?って思ったりする。

2019-05-27

努力

目標を掲げ、そこに到達するために邁進すること。
現代社会の結果主義において
努力は評価対象から外れている。
できるだけ、効率化に基づき結果を出せばいい。

極論で言ってしまえば
大会で優勝を狙いたいのなら
評価委員を買収して、優勝というステータスを手にいればいい。
その結果に向って、習練すること自体時間の無駄になってきている。
仮に、時間を使ってこの結果を手に入れたとしても
やれ、そこまでして行うべきものか?
やれ、結局、何かを使ったに決まっている
と庶民に要らぬことを言われるだけでもあり、その抗弁の時間もまた無駄である。

悲しいかな、この事実は
平成以降の若者の中では疑いのない認識なのだが
戦後、昭和の価値観ではそれを道徳心で否定している。
現時点、未だ昭和の価値観が権力を占めているので
努力への否定はできない。
しかし、この先、数十年後には努力という価値観はなくなるといえるだろう。
???
アスリートなどが行っている練習は努力ではないのか!
って言い張るが、それは努力ではなく
計画計算(プログラム)に基づいた
人体改造手法(インプットファンクション)を
生体力学(フィジカル)の乗っ取って施していてるのであり
それを努力と言ってしまうと、計算結果の確からしさを否定してしまう
高度技術発展への弊害でしかないという視点に変えていくべきだろうな。

2019-05-24

邪魔

妨げること。また、妨げとなるもの。
現代における邪魔とは、、基本他人の存在以外何物でもない。
そして、主観的感覚である邪魔の対義語は、迷惑ともいえる。
自分にとって邪魔と思うことは
そう邪魔と思われている側からすると、迷惑でありまた邪魔である。

「自分の意思を貫こうとしているのに、邪魔をされてきた。」
と発言する人の周りは
「自分勝手で迷惑な存在でしかない」
と捉えられる。

個人主義が横行している現代社会
どれだけ邪魔と迷惑が蔓延しているのだろうか?

2019-05-23

半端

 あるまとまった量・数がそろっていないこと。また、そのさまや、そのもの。
どっちつかずであること。また、そのさま。
 気のきかないこと。また、そのさま。

意味定義も半端な内容だこと。
しかし、半端とはどういう状態なんだろうか?
自分からすれば完成と思っていても、他人からすれば半端ってみなされたり
こんな半端なことがまかり通るのかって思うことが当然のようになっている。
価値の多様化が半端という状態をより半端にさせているのかねえ。

2019-05-22

資料

それを使って何事かをする、もとになるもの。
つまり、資料は目的ではなく手段、それも一過性の暫定物。
その認識があるかないか、、
資料作りを目的しているどころか
その資料の質ばかりに目を向けること
資料の中身がおかしくなって、求めるべき目的を見失っている
ことが実に多いこの社会。
それでいいのかなあ?

2019-05-21

憲法

国家から国民を守る最高法規

なら、なぜ国民は国家に属するのか?
なぜ国家という形態を生み出したのか?

実はここがゆがみ始めている。
国家により国民は生命保証、社会保障を得てきた。
だから国家という形態を意思したいのだが、
国家規模が大きくなると、個々人の尊厳を踏みにじることもたびたび起きる。
そこに向けての憲法であった。

しかし、国家の存在ってなんだろう?
国家より経済規模の大きな国際大企業も存在するし
その企業が雇用や社会福祉を行っているエリアもある。
そして、その企業が行うことが社会貢献になっているのであれば
そもそも国家というものの存在が形骸化してしまう。

GAFA、、それにへの国家課税論。
国家が生み出す経済循環や社会貢献度の軸でみたら
GAFAのほうが価値が高いとなる。
もはや、国家、、それに対する憲法なんてものは意味をなさないかも?

2019-05-20

自浄

川や海、大気などが、みずからの働きだけで汚れを取り去ること。
転じて、人間世界の不正へ人間同士をどう改善していくか?

不正を見たとき、
社会道徳ではそれを止めるように教育してきた。
しかし、それを行うと
「お前に言われる必要はない」
「あなた、何様!私が悪いわけない」
と言い出すどころか、不正を止めようとした側が
名誉棄損や暴行罪で問われるとなる。
そうならないように、公権力、公安の力を使ってしても
僕や周りの経験では全く機能していない、
問題がなかったことにする保身的なクズが公安にいるため
社会改善にならない。
どうしようもないと思うようだが、
デジタルの進化はすごいねえ。
その行為、音声を撮ってしまい、
それを恣意的に流せば後は社会の自浄作用が働くと来ている。
まーその自浄作用が適切かどうかは別として
それ相当の報いが与えられる。
そこが現代社会の新しい自浄的道徳心なのかなあ。

そう考えると、そこに個人情報やらプライバシーとかで
映像、音声を加工するマスコミの行動って
ただの社会的不正そのものに成り下がっているとなぜ庶民はわからないのか?
わかっているから、旧来のマスメディアがビジネス的には破綻しているのか?

2019-05-17

専門

 限られた分野の学問や職業にもっぱら従事すること。
ビジネスや顧客志向はどんどん特化、深化される。
そうなった場合、その分野の専門の知識と見解が必要になる。
だから、専門家の存在が必要になるとされるが
なかなかその専門家が見つからない。

、、、そりゃーそうだ。
特化、深化すればするほど、その間口は狭くなる。
狭くなった間口にピンポイントでの確認などない。
そして、その間口の狭さについて
専門家という存在は井の中の蛙大海を知らずなので
「自分に適した内容でないと対応しない」
と平気で上段に構えている。
もし間口を広げるとしたら、その間口まで自分の理解を戻して
再び特化、深化を深めなくてはならず、そんな時間はないと言い張る。

専門性、、、
必要なようで、使えない社会悪になっているのだが
そこを逃げ口に好きなことだけ行うクズがどんどん増えているなあ。

2019-05-16

逆走

順路と逆に進む行為。
人通りを考えれば当たり前のことだし
これが交通ルールの基礎だと思う。
しかし、これすら、いやこれを根本的に理解できない輩が実に多い。
~「自分が進んでいるのだから邪魔しないで」
~「どんな進み方したっていいじゃない」
~「前方不注意でしょ、そっちが」
って、当然のように言い出す存在を容認している。
そのうえ、交通警察のレベル低く、
交通事故になっていないものには関心なく
「互いに譲り合って進むべきです」
と他人事のように扱う。

こうやって、社会秩序は崩壊していくんだろうな。

2019-05-15

蒲鉾

練り製品の一つ。
あれ?漢字では蒲の鉾。なのに、、
もともとは、魚などの白身を棒の先につけて焼いた姿。
植物の蒲のようで鉾のようでもあったからであった。
しかし、同じ材料で板のうえに盛って、それを蒸すパターンがあり、
そのほうが保存、そして味も好かれた。
後から出てきたその食材は、板蒲鉾と言われたが、
メインがこっちになったので、板蒲鉾が略された蒲鉾になった。

これも、日本語らしく略された結果、
元来の意味が上書きされるパターンだね。
携帯って聞いて携帯するモノはなに?って聞き返せないようにね。

2019-05-14

消耗

使って減らすこと。また、使って減ること。使い果たすこと。
質量保存の法則、等価交換の原理から
何かを得たがための代償として、消耗がある。
つまり、消耗とは目的と等価と考えるべきだろう。
だから思う、ダイエットのためにカロリーを消耗させる、、
なんか目的が間違っていないか?
ダイエットすら目的ではなく手段だし、
そのためにカロリーを消耗させるのであればそもそも論からして、、
どうも最近の健康、ダイエットの発想が消耗促進なことが
地球規模、歴史的視点からすると狂気の沙汰に感じてしまう。

2019-05-13

贅沢

実際の生活が必要とする以上の、分に過ぎた消費。
この言葉には現代人が理解しなくてはならない要素が多い。

一つは儒教、清貧前提であり、経済循環を認めない発想であること。
つまり、お金を使うことを罪悪とみなしていることがあり、
経済循環を景気とみなす現代社会とはずれていること。
二つ目は、贅沢という概念は相対的であるということ。
5年、いや1年前には贅沢と思われていたものが今では日常品になっていることも多い。

贅沢という概念、、というか贅沢って使わなくなるのかなあこの言葉。

2019-05-10

募集

広く呼びかけて必要な人や物を集めること。
これってかなり他力本願な活動。
現代社会では他力本願ではなく、自分が動かないと結果がでないことが多い。
だからだと思う。
バイト募集ということで他力本願で行うから
バイトテロのようなことが起き、雇わなかければよかったとなるのでは?
募集で集めるのは目的ではなく、手段であり
集めた以上、自分がその対象者にアクションをして選んだという自主的な活動で
結果につなげなくてはならないはずだ。

2019-05-09

木綿

英語で言えば、cotton、ワタのことだ。

しかし、この漢字で、ゆう と読む。
それは、
古来日本において、ワタが渡来していないときに
木綿を 楮 つまり木の皮を繊維状にして編み上げた布を ゆう と呼んでいたことに由来しているからだ。

日本語は渡来物に現在物を置き換えてしまうことが多い。
この木綿やカルタなど、本来日本固有のものを置き換えて呼称する。
それは、同義とみなし自文化への取り込みを促進させる優位性と
自文化そのものを忘れてしまうアイデンティティのなさでもあるが。

2019-05-08

独言

相手がいないのに、言葉を発していること。
この独り言への認識概念が破綻している。

相手とは?
物理的、生物的、可視的
という次元レベルで定義があいまい、
~電話先
~ディバイスのチャットボット機能の音声認識
~脳内アイドル

そして、その言葉を発することに
~自分の声以外は雑音としか見なさい個人主義
~思考を発声を使って五感で感じるスタイル
など、それぞれに思い込みが許されることになっている。

独り言を発することが
自己満足
他者への悪影響
とそれぞれが思い込みで他者へ干渉する現代社会。

、、、、、もう、社会などどうでもよくなっているのかなあ?
現代社会は。

2019-05-07

観光

楽しみを目的とする旅行。
観光立国 日本 と言い出している。
うーーん、そう言ってしまうと成長はない。
観光で稼ぐ国とは、先人たちが築きあげた遺産で食べ始めること。
つまり、付加価値を生み出さずに、遺産と言う利子で食いつなぐこと。
そうなったらおしまいだ。
アメリカが観光を前面に押し出しているだろうか?
エジプトがピラミッド以外で高度な付加価値を生み出しているだろうか?
もう少し、日本の政治施策を真面目に考えろよ。