使い慣れる。
その行為、行動が当たり前になること。
一見すると、とても普通なことだが、これには悪意が内在する。
使い慣れる、それがあって当たり前になると
ないとき、使えない状況時に人は他者にできないことを責める。
本来なら与えてもらう恩恵がいつの間にか義務、役務になっているからだ。
電気を使える権利から、停電になった責任を説いたり
無償で提供されている恩恵に、使い勝手が悪いから直る責任があるなどと言い出す。
人間自分の置かれている立場、得ている権利の源泉、法源を今一度みなすべきだ。
使い慣れているからこそ、その恩恵の意味を感じるべきだと思ってしまう。
あなたが当たり前と思ったり、憤っていることって根拠がおかしくないか?!っと。
2019-05-30
成約
契約が成り立つこと。また、成り立った契約のこと。
成約した時点で時はフィックスする。
それが契約主義なのだ。
しかし、現代人は
~時代は変わっているのに、その内容では意味がない
~契約したんだから、今の求めているものを提供しろ
と悪ぶれずに平気で言い出す輩が多い。
未来予測、社会潮流を考えて成約していないほうが悪いし
その成約までに履行義務者は準備、成約後にはその提供に向けて活動しているのだ。
どうも、自分はいい、他人はダメということが自己主張と勘違いしている輩が多い社会になっていることにかなりの危さを感じている。
もともと、現代社会は破綻しているのだが、この認識観の中にいると他人と関わりを持つということは損でしかないなあ。
成約した時点で時はフィックスする。
それが契約主義なのだ。
しかし、現代人は
~時代は変わっているのに、その内容では意味がない
~契約したんだから、今の求めているものを提供しろ
と悪ぶれずに平気で言い出す輩が多い。
未来予測、社会潮流を考えて成約していないほうが悪いし
その成約までに履行義務者は準備、成約後にはその提供に向けて活動しているのだ。
どうも、自分はいい、他人はダメということが自己主張と勘違いしている輩が多い社会になっていることにかなりの危さを感じている。
もともと、現代社会は破綻しているのだが、この認識観の中にいると他人と関わりを持つということは損でしかないなあ。
2019-05-29
深夜
真夜中、
基本、現代人は時計に支配されて行動している。
だから、22時から05時台は深夜扱いとみなすと
その時計に従った労働基準法で定めた定義になっている。
今、24時間稼働が問題になっている。
24時間労働に耐えられないコンビニエンス従事者の訴え。
対して、人によっては深夜に明かりがついていることがいいと言い出す。
それがお客の声という。
でもおかしくないか?深夜に明かりがついているが
その明かりに見合う支払いをしていないことが多い。
コンビニエンスは慈善活動ではなくビジネスだ。
深夜稼働は労働基準法に従うそれなりのコストがかかる。
ビジネスは需要と供給があって初めて成り立つ。
深夜稼働を求める声があるのであれば、
それ相当の商機、利益がないとならない。
他人に善意に甘え、当然と思うことを顧客の声とか言い出す現代社会は
本当に市場経済なんだろうか?
基本、現代人は時計に支配されて行動している。
だから、22時から05時台は深夜扱いとみなすと
その時計に従った労働基準法で定めた定義になっている。
今、24時間稼働が問題になっている。
24時間労働に耐えられないコンビニエンス従事者の訴え。
対して、人によっては深夜に明かりがついていることがいいと言い出す。
それがお客の声という。
でもおかしくないか?深夜に明かりがついているが
その明かりに見合う支払いをしていないことが多い。
コンビニエンスは慈善活動ではなくビジネスだ。
深夜稼働は労働基準法に従うそれなりのコストがかかる。
ビジネスは需要と供給があって初めて成り立つ。
深夜稼働を求める声があるのであれば、
それ相当の商機、利益がないとならない。
他人に善意に甘え、当然と思うことを顧客の声とか言い出す現代社会は
本当に市場経済なんだろうか?
2019-05-28
2019-05-27
努力
目標を掲げ、そこに到達するために邁進すること。
現代社会の結果主義において
努力は評価対象から外れている。
できるだけ、効率化に基づき結果を出せばいい。
極論で言ってしまえば
大会で優勝を狙いたいのなら
評価委員を買収して、優勝というステータスを手にいればいい。
その結果に向って、習練すること自体時間の無駄になってきている。
仮に、時間を使ってこの結果を手に入れたとしても
やれ、そこまでして行うべきものか?
やれ、結局、何かを使ったに決まっている
と庶民に要らぬことを言われるだけでもあり、その抗弁の時間もまた無駄である。
悲しいかな、この事実は
平成以降の若者の中では疑いのない認識なのだが
戦後、昭和の価値観ではそれを道徳心で否定している。
現時点、未だ昭和の価値観が権力を占めているので
努力への否定はできない。
しかし、この先、数十年後には努力という価値観はなくなるといえるだろう。
???
アスリートなどが行っている練習は努力ではないのか!
って言い張るが、それは努力ではなく
計画計算(プログラム)に基づいた
人体改造手法(インプットファンクション)を
生体力学(フィジカル)の乗っ取って施していてるのであり
それを努力と言ってしまうと、計算結果の確からしさを否定してしまう
高度技術発展への弊害でしかないという視点に変えていくべきだろうな。
現代社会の結果主義において
努力は評価対象から外れている。
できるだけ、効率化に基づき結果を出せばいい。
極論で言ってしまえば
大会で優勝を狙いたいのなら
評価委員を買収して、優勝というステータスを手にいればいい。
その結果に向って、習練すること自体時間の無駄になってきている。
仮に、時間を使ってこの結果を手に入れたとしても
やれ、そこまでして行うべきものか?
やれ、結局、何かを使ったに決まっている
と庶民に要らぬことを言われるだけでもあり、その抗弁の時間もまた無駄である。
悲しいかな、この事実は
平成以降の若者の中では疑いのない認識なのだが
戦後、昭和の価値観ではそれを道徳心で否定している。
現時点、未だ昭和の価値観が権力を占めているので
努力への否定はできない。
しかし、この先、数十年後には努力という価値観はなくなるといえるだろう。
???
アスリートなどが行っている練習は努力ではないのか!
って言い張るが、それは努力ではなく
計画計算(プログラム)に基づいた
人体改造手法(インプットファンクション)を
生体力学(フィジカル)の乗っ取って施していてるのであり
それを努力と言ってしまうと、計算結果の確からしさを否定してしまう
高度技術発展への弊害でしかないという視点に変えていくべきだろうな。
2019-05-24
2019-05-23
2019-05-22
2019-05-21
憲法
国家から国民を守る最高法規
なら、なぜ国民は国家に属するのか?
なぜ国家という形態を生み出したのか?
実はここがゆがみ始めている。
国家により国民は生命保証、社会保障を得てきた。
だから国家という形態を意思したいのだが、
国家規模が大きくなると、個々人の尊厳を踏みにじることもたびたび起きる。
そこに向けての憲法であった。
しかし、国家の存在ってなんだろう?
国家より経済規模の大きな国際大企業も存在するし
その企業が雇用や社会福祉を行っているエリアもある。
そして、その企業が行うことが社会貢献になっているのであれば
そもそも国家というものの存在が形骸化してしまう。
GAFA、、それにへの国家課税論。
国家が生み出す経済循環や社会貢献度の軸でみたら
GAFAのほうが価値が高いとなる。
もはや、国家、、それに対する憲法なんてものは意味をなさないかも?
なら、なぜ国民は国家に属するのか?
なぜ国家という形態を生み出したのか?
実はここがゆがみ始めている。
国家により国民は生命保証、社会保障を得てきた。
だから国家という形態を意思したいのだが、
国家規模が大きくなると、個々人の尊厳を踏みにじることもたびたび起きる。
そこに向けての憲法であった。
しかし、国家の存在ってなんだろう?
国家より経済規模の大きな国際大企業も存在するし
その企業が雇用や社会福祉を行っているエリアもある。
そして、その企業が行うことが社会貢献になっているのであれば
そもそも国家というものの存在が形骸化してしまう。
GAFA、、それにへの国家課税論。
国家が生み出す経済循環や社会貢献度の軸でみたら
GAFAのほうが価値が高いとなる。
もはや、国家、、それに対する憲法なんてものは意味をなさないかも?
2019-05-20
自浄
川や海、大気などが、みずからの働きだけで汚れを取り去ること。
転じて、人間世界の不正へ人間同士をどう改善していくか?
不正を見たとき、
社会道徳ではそれを止めるように教育してきた。
しかし、それを行うと
「お前に言われる必要はない」
「あなた、何様!私が悪いわけない」
と言い出すどころか、不正を止めようとした側が
名誉棄損や暴行罪で問われるとなる。
そうならないように、公権力、公安の力を使ってしても
僕や周りの経験では全く機能していない、
問題がなかったことにする保身的なクズが公安にいるため
社会改善にならない。
どうしようもないと思うようだが、
デジタルの進化はすごいねえ。
その行為、音声を撮ってしまい、
それを恣意的に流せば後は社会の自浄作用が働くと来ている。
まーその自浄作用が適切かどうかは別として
それ相当の報いが与えられる。
そこが現代社会の新しい自浄的道徳心なのかなあ。
そう考えると、そこに個人情報やらプライバシーとかで
映像、音声を加工するマスコミの行動って
ただの社会的不正そのものに成り下がっているとなぜ庶民はわからないのか?
わかっているから、旧来のマスメディアがビジネス的には破綻しているのか?
転じて、人間世界の不正へ人間同士をどう改善していくか?
不正を見たとき、
社会道徳ではそれを止めるように教育してきた。
しかし、それを行うと
「お前に言われる必要はない」
「あなた、何様!私が悪いわけない」
と言い出すどころか、不正を止めようとした側が
名誉棄損や暴行罪で問われるとなる。
そうならないように、公権力、公安の力を使ってしても
僕や周りの経験では全く機能していない、
問題がなかったことにする保身的なクズが公安にいるため
社会改善にならない。
どうしようもないと思うようだが、
デジタルの進化はすごいねえ。
その行為、音声を撮ってしまい、
それを恣意的に流せば後は社会の自浄作用が働くと来ている。
まーその自浄作用が適切かどうかは別として
それ相当の報いが与えられる。
そこが現代社会の新しい自浄的道徳心なのかなあ。
そう考えると、そこに個人情報やらプライバシーとかで
映像、音声を加工するマスコミの行動って
ただの社会的不正そのものに成り下がっているとなぜ庶民はわからないのか?
わかっているから、旧来のマスメディアがビジネス的には破綻しているのか?
2019-05-17
専門
限られた分野の学問や職業にもっぱら従事すること。
ビジネスや顧客志向はどんどん特化、深化される。
そうなった場合、その分野の専門の知識と見解が必要になる。
だから、専門家の存在が必要になるとされるが
なかなかその専門家が見つからない。
、、、そりゃーそうだ。
特化、深化すればするほど、その間口は狭くなる。
狭くなった間口にピンポイントでの確認などない。
そして、その間口の狭さについて
専門家という存在は井の中の蛙大海を知らずなので
「自分に適した内容でないと対応しない」
と平気で上段に構えている。
もし間口を広げるとしたら、その間口まで自分の理解を戻して
再び特化、深化を深めなくてはならず、そんな時間はないと言い張る。
専門性、、、
必要なようで、使えない社会悪になっているのだが
そこを逃げ口に好きなことだけ行うクズがどんどん増えているなあ。
ビジネスや顧客志向はどんどん特化、深化される。
そうなった場合、その分野の専門の知識と見解が必要になる。
だから、専門家の存在が必要になるとされるが
なかなかその専門家が見つからない。
、、、そりゃーそうだ。
特化、深化すればするほど、その間口は狭くなる。
狭くなった間口にピンポイントでの確認などない。
そして、その間口の狭さについて
専門家という存在は井の中の蛙大海を知らずなので
「自分に適した内容でないと対応しない」
と平気で上段に構えている。
もし間口を広げるとしたら、その間口まで自分の理解を戻して
再び特化、深化を深めなくてはならず、そんな時間はないと言い張る。
専門性、、、
必要なようで、使えない社会悪になっているのだが
そこを逃げ口に好きなことだけ行うクズがどんどん増えているなあ。
2019-05-16
2019-05-15
2019-05-14
2019-05-13
2019-05-10
2019-05-09
2019-05-08
独言
相手がいないのに、言葉を発していること。
この独り言への認識概念が破綻している。
相手とは?
物理的、生物的、可視的
という次元レベルで定義があいまい、
~電話先
~ディバイスのチャットボット機能の音声認識
~脳内アイドル
そして、その言葉を発することに
~自分の声以外は雑音としか見なさい個人主義
~思考を発声を使って五感で感じるスタイル
など、それぞれに思い込みが許されることになっている。
独り言を発することが
自己満足
他者への悪影響
とそれぞれが思い込みで他者へ干渉する現代社会。
、、、、、もう、社会などどうでもよくなっているのかなあ?
現代社会は。
この独り言への認識概念が破綻している。
相手とは?
物理的、生物的、可視的
という次元レベルで定義があいまい、
~電話先
~ディバイスのチャットボット機能の音声認識
~脳内アイドル
そして、その言葉を発することに
~自分の声以外は雑音としか見なさい個人主義
~思考を発声を使って五感で感じるスタイル
など、それぞれに思い込みが許されることになっている。
独り言を発することが
自己満足
他者への悪影響
とそれぞれが思い込みで他者へ干渉する現代社会。
、、、、、もう、社会などどうでもよくなっているのかなあ?
現代社会は。
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