使い慣れる。
その行為、行動が当たり前になること。
一見すると、とても普通なことだが、これには悪意が内在する。
使い慣れる、それがあって当たり前になると
ないとき、使えない状況時に人は他者にできないことを責める。
本来なら与えてもらう恩恵がいつの間にか義務、役務になっているからだ。
電気を使える権利から、停電になった責任を説いたり
無償で提供されている恩恵に、使い勝手が悪いから直る責任があるなどと言い出す。
人間自分の置かれている立場、得ている権利の源泉、法源を今一度みなすべきだ。
使い慣れているからこそ、その恩恵の意味を感じるべきだと思ってしまう。
あなたが当たり前と思ったり、憤っていることって根拠がおかしくないか?!っと。
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