本を読んでいる。
ある小説では
「自分を愛せない人間は人を愛せない」
対して、別の話は
「自分が嫌いだからこそ、そのアンチテーゼで他人を愛せる」
となっている。
大局的な意見でどちらも正解と思っているし
相手を間違っていると思うだろう。
しかし、愛というレベルにおいて社会は正解を出さない。
というより、自分の権威を示せるものに
人間は自分と主張が正しいということで正解を付けたがる。
って考えると、、僕は哲学的に考えて
正解って言うのは、誰かに従っていますよ!ということではないかと考えている。
正解を出すのが得意ということは
極論的に言えば、自分の世界を持っていないということだと言えると結論で付けられなるので。
これは、
地動説が正解とされているが
今までは天動説が宗教的にも正解とずっっと言われていたこと、
その正解が宗教裁判という権威に縛られていたことが歴史的ににも証明されているだけにね。
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