物事の是非を論じたり解説したりすること。
また、その文章。特に、
新聞の社説など、時事的な問題について論じ述べたものにいうことが多い。
つまり、自分の言いたいことを行っているだけでしかない。
報道の自由、表現の自由と言われてきたが
本当の意味での自由は最近ではないだろうか?
ネットの普及、当たり前のように自分の投稿ができる。
それゆえに、、多くの問題も起きている。
自由とは至ってそういうことでもあるが、、
対して、報道機関での論説というものに価値は皆無に等しい。
意見を述べることが特権的だった時代ともう違うといえる。
その意見は、ただの偏見の一つとなっている。
歴史的に見て、、今の旧来の報道機関は、、
落ちぶれた封建制度下の貴族と同じ。
いくつかの貴族は新事業に乗り出して、今でも大手企業になっているが、
多くの貴族は、、
報道機関の論説をみると、、過去からの妄執、そしてその断末魔的な感覚を覚えてしまう。
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