2013-11-18

実験

「やってみなければわからない」
ということが
「やる価値がない」
として止められることが多い社会になった。

多くの情報がもたらした現在の集合知。
それは自分の確証もなく、ただ他人の意見に類似することで
結論に至れる。

それゆえ、多くのことを試す必要なくその集合知があたかも正解になっている。

しかし、自己の身の回りの環境って必ずしも集合知で賄えるとは限らない。
人間関係、
上下関係での受け答え、
前例なき事象。
その構成要素で成り立っているので
実験を試みなくてはならないことも多い。

集合知を正解として、何もしないことをコスト削減というか
結果が見えているかもしれない、もしかしたら新しい化学反応が起きるかもしれないと先行投資するか
を判断、いや賭けられることが、実験の異議であり、責任者の器だと僕は感じてならない。

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