2024-01-31

幼体

人間を含めて、胎児、幼児の姿は多くのは
完全変態昆虫以外の動物は見た目が変わらない。
そして、その姿に哺乳類は愛おしさを感じるそうだ。
それは成体に虐待どころか保護してもらえる本能に訴えるため
それどころか、他の動物からも狙われない愛らしさ
の最大公約数の結果だろう。
結果、、公約数に入らない生物(多くは蛇)には
狙われるが、、、
この姿は遺伝なのか、それとも生態なのか
から
ならその親のどんな状況でこの姿が遺伝したのか
そうなる生態はどうなっているか
になり
では今後の赤ちゃんの姿は
社会性、生活の変化で変わっていくのか
などいろいろと生命の神秘を考えてしまう。

とても僕には無駄な検討時間でしかないがね。

2024-01-30

気性

生まれつきの性分。気だて。気質。気象
というが、気性という字を使うときは
荒い
激しい
と、攻撃性の表現にしか使わないではないか!
気性がおとなしいは、ただのおとなしいになっていないか。

汎用そうに見えて一択な言葉って実に多く感じる。

2024-01-29

接待

客をもてなすこと
大手企業では接待禁止として
お客さま、仕入先とは交際費を払わない
払っても均等(割り勘)傾向がある。
それって、既得権益の濫用そのものではないか!
接待などで真の気持ちを探り
そこから新規提案をしていくこと
その経験で次の顧客への提案や販路拡大をさせることを
禁止してどうする。
大手は接待をしないことで
・気持ちは一切聞かず
・交際費をコストとして使わせず
・営業トークもこれまでの実績、老舗による圧力をしていることが
他人に失礼ではないか!
確かに接待を個々の遊興に使ってきたバカがいたから
問題ではあった経緯を知っている。
しかし、そのバカがいた事実を接待における効果を分けられないのも
、、、バカな経営と思う。
気持ちを聞いて新しい提案をせずに
既得権益維持をする企業の発展どころか
社会全体を縛っている
今の大手の横暴をそのままでいいのか?
法整備などを政治家にもとめるがこれもバカだからなーー
アイデアとして
~登記自治体内で買い物、飲食をすると法人税減税
~接待、営業事務には必ず領収書と活動レポートの義務化をすることで、
虚偽申請なども減るものを、、、
本当に現代人は頭が悪いなあ。

2024-01-26

配膳

食事の膳を客の前に配ること、
または食卓に箸や茶碗などをしつらえ食事の用意をすること

最近の配膳行為が贅沢の象徴になりつつある。
配膳は自分でしたり、する必要のない食事が増えている。
わざわざ、人手で配膳することは
この人手不足、物価高騰と言われる時代では
贅沢をしている具象なんだろうな。

今まで当たり前とされたことがこれからは
贅沢になるのは、日本では伝統工芸もそれにあたり
ビンテージとなるんだろうな。

2024-01-25

邦訳

外国語を日本語に訳すこと。
なら、和訳との違いは?
はっきり言えば、同じ。
強いて使い分ければ、、製本を訳すことかな、邦訳のメインは。
日本語って面倒だ、、、というが
英語の
decide
determine
だって同じようなもの
日本の英語学者が違いを説明しても
英語を母国語にしている子供たちは
「どっちでもいいよ、かっこいいほうがいい」
で一喝される。

使っている人間の自己満足であり、
自己満足は上記の子供たちではなく
学者のほうなんだけどね。


2024-01-24

有利

その人の側にうまく行きそうな点があるさま。
都合がよいこと。

有利の反対語は不利となっている。
しかし、本当の反対語は、、、不正だろう。
人間というものは
自分が有利であることは当然と認識し
相手が自分より有利であることに不正を口にする。
所詮人間なのて、自分中心主義なんだろうな。。。

でも、これって本当に日本の価値観か?
なんか、年功序列が崩壊してからこういうようになったような。
有利、偉くなることへのヘイトがひどいような。

2024-01-23

恨節

くだくだしく述べる恨み言、
恨みをのべつまくなしに喋ること

これって民意に圧せられること。
つまりはいくら自分の主張をしても世間に聞き入れられない状態。
民主主義というものゆえ
民意にから一方的に思われたら何も通じないのが現在。
それが正しく、効果的であっても
ただ悪とみなされること。

恨み節の中にも正しさがある事実があったり
実はそれが正解って後で言い切れるものもある。
しかし、この民主という精神支配は
事実をゆがめる宗教的効果があるので
ただの恨みで処理し、人民を洗脳する。
洗脳されている状態で正しさを見出せるか?
民主主義の恐ろしさを感じるなあ。

2024-01-22

継承

ひきつづいて、うけつぐこと。
先代や先任者などの地位や身分、財産、権利、義務などを、うけつぐこと
一般的に同じ存在が若返ると思われる。
しかし、現実は全く同じものではなく
新しいものになるということが多い。
それゆえ、
「先代と違う」
「これまでのブランドを台無しにした」
とか言われるほうが多い。

継承は個人的な上昇志向の努力が認められずらく
批判される立場ともいえる。

継承を受けるからといって楽な人生が待っているというとは
一概に言えないことは継承を受けていない人たちからしたら
目に映らないのは人間の本性だろうな。

2024-01-19

饗宴

酒食の席をもうけて客をもてなすこと。
COVID以降、饗宴への扱いが変わった。
いや多様になったのか?
衣食住における食ではあるが
他人と一緒に食べることへの賛否が起きる。
COVIDというがそれ以前から
飲みにケーション否定の声をあったが
COVIDがその正当性を持たせている。

でも根本的に考えるべきことは
客をもてなすこと
相手への気持ちの伝わりが変動している。
変動しているとは
時代
価値観
環境
で、何をもってもてなすか、
それでお客相手が楽しみにしているか
喜んでくれるか
をどうするか?

別に饗宴で酒やごちそうでなくてもいいのでは?
という時代なんだろうな。

2024-01-18

応札

請負者を決める方法のこと。
競争入札に対して応募すること。
公共機関の仕事へ応札で発注を請ける。
これが今までの公共事業への民間のかかわりだ。
しかし、公務員の質、量の相対低下から
応札の準備、実施ができなく
随意契約が溢れたりして、いろいろと問題になった。
また、民間でも応札で募ったりしている。
しかし、
発注側の応札の内容(RFP)が曖昧なのに
なんでもやらしたり、
受注側も応札の内容に対応できず
逃げるどころか、発注側の問題だと争議になったりする。

社会情勢の変化のスピードが速く
応札をまとめた時点
応札をに応えた時点
納品するとき
でもはや時代遅れ、そのものを必要としないことになった場合
応札を出す側の責任、支払い義務を勘違いすることが
案外大企業のコストカットのロジックを口にしていることを
まーよくあること。
それより応札制度、請負がリスクなって応えたくない対応も
よくわかる。



2024-01-17

昔年

むかしのこと。
同じ音で積年という言葉は
年を重ねた今という表現で類似語ともいえよう。
使いどころは
当人からすれば、積年ではあるかが
客観視すれば、昔年でしかないかもしれない。
その時の間をどうとらえるか、、冷たく言えばそれだけのこと。

2024-01-16

天罰

天から下される罰のことで、
悪事の報いとして自然に来る禍
でもさーこれって
庶民が自分にとって都合の悪い、気に食わない人が
失態、失敗することを望み、喜ぶことで
その心根自体が七つの大罪の<嫉み>であり
神に罰されない?

天罰は下るものではなく、下すものになることが
あるべき姿ではないか?
自助努力の表れのはず
現代社会は報復を禁止している。
それは勝った側の一方的な言い分であり
それに従うことがいいだろうか?
今の中東の戦争もそうだし、
日本とて戦敗責任を未だに言われることへ
大きく抗うことにできずいる。

何度もここで書いているが
「勝てば官軍」
「勝者が歴史を作る、改竄する」
ので、今の敗戦国、非武装がいいという洗脳に
いつまでも従うことへの開放はできないものか。

「力が支配するとが正しいか?」とバカが言う。
正しいから今アメリカに従っているのでは?

2024-01-15

美観

美しいながめや美麗な見もの。
母が受けた美観からの問題。
ゴミ捨て場がルール無用、荒れている。
美観的に見ていられないから
そこを自発的に清掃している。
そうすると、若い女に
「私のごみを触らないで、汚らわしい」
と言われ、怒って
「もっときれいに出しなさいよ」
と口答えすると
「ごみを捨てるゴミ捨て場なのよ、汚いに決まっているじゃない
 ばかじゃないの」
って言われたらしい。

母の気持ちはわかないでもない。
自分の美観として公共の場はきれいに使おうって思うからだろう。
でも、それは現代人、自分さえよければこそ
個人主義、自分の美観に従っただけ
まーー、そういう美観の女をもっと汚らわしく堕としてしまうことに
注力することへは母は頭が回らないか。


2024-01-12

選民

特定の宗教集団(民族、信者)が自分たちは神と契約した、
神に選ばれたという意識と世界に対する導きの使命感を基礎とし、
特別な存在と信じていること

多くの人は選民思想をよくないと思っているが
この社会、選民思想でしかない。
個人主義、自己主張偏重は
「自分がいいけど、他人はダメ」
という見解ばかりだ。
根拠も自分の優位性をいうだけど
他人の存在を軽視しすぎている。
これって選民レベルが個人に落とし込まれている危険な状態。

とはいえ、僕が選民思想を否定することはない。
逆に選民思想こそ人間の進化なのでは?
と思う。
自分こそという思うで、他人を制して自分が残る。
それが弱肉強食、自然淘汰であり
その結果、残ったものが自然=神に認められたというなのだから。
そう考えると社会、互助、共栄って
SDGsとは逆じゃないのかな?

2024-01-11

柔軟

人、または事柄の性質が順応性に富んでいてやわらかであること。
、、、、柔軟を求める輩は結局はルール違反、規律を守れない違法者である。
~もっと柔軟な対応を
~なぜ柔軟に行えないものか
は、自分だけ特例にしてほしいという我儘なことである。
他の皆さんはそれを守って今にいたるのに
なぜ、その人だけ特別にするのか!
~自分たちは○○だから
ってどうでもいいことを口にするな。
○○の使い方が市民的ではない!

かのリンカーンの言う
社会、国家 が 何をしてれるのではなく
社会、国家 に 何をすべきか
をもっと意識すべき。
柔軟にしてもらうのではなく
柔軟にしてあげる
ほうに、気持ちをむけるべきでは?
どうも、個人主義は自分へ自分へになっている。
自分から自分からに思想をかえないとならないのでは?

2024-01-10

喫煙

タバコの吸引する行為。
現代だと意義的に健康に悪いと言われる。
健康に悪い、、だから悪いのか!
よくアイデアは喫煙室で出たり
一服という言葉もある。
喫煙により脳の血管が収縮することで脳が活性化されると思われる。
喫煙はしないが天才発明のドクターは
プールで息継ぎせず、酸欠で落ちる瞬間で発明のアイデアが生まれると
言っていたこともある。
脳への刺激に喫煙は役に立つとは言えないか?

長寿で無駄に生きるより
それを失ってでも、社会貢献になるアイデアを出すことのほうが
人間として生きてきた価値ではないだろうか!
そもそも人間はいつかは死ぬなのに、それを他人から社会保障費として
延命させられることに恥じらいはないのか、現代日本人。

喫煙における副流煙による受動喫煙は防ぐべきだが
喫煙で得られる、、得られてきた日本の行動成長期のことを思うと
喫煙をなくし、アイデアなき長寿は生き恥と思うがね。
僕自身が喫煙しないのか?!って。
そもそも、才気煥発たる存在は凡愚の喫煙などに頼らずともだがね。
多くの人が僕のレベルで話したいだけに、喫煙を応援するところではある。


2024-01-09

代議

他人に代わって議すること。
代議士、、、政治家の多くがそれ。
、、、本当にまだ代議士っているの?
民主主義の好きな日本人。
本当の民主主義なら、直接投票でいいじゃないか!
アプリなどでアンケート方式で、、
~アプリで不正されたら
~アプリを使いこなせない人は
~そんなおもちゃみたいなものに国民の生活を決められるのは
っていうが
~選挙方式、投票不正が未だに絶えないじゃないか
~使いこなせない輩がこの先の日本を語るな
~不祥事政治家ばかりでも今の日本があるなら、もっと良くすれば

だいたい、
自分たちの投票で個々の課題を決められない、決めたくないから
政治家を選んでいるだけの衆愚政治なんだから、
そもそも選挙、投票なんかできていること自体
すでに破綻しているんだよ。
みろ、アメリカの狂いっぷりを。
そして、多くの企業は従業員ではなく株主、、
いや最近は一部の企業家が運営して成功している。
民意なんかどうでもいいんだよ、結局は楽しければいい。
それが群衆の本能なんだから。

2024-01-05

滂沱

・雨が激しく降るさま
・涙がとめどなく流れ出るさま
漢字のとおり、
水分が溢れんばかりに流れでていること。
あまり使わないだろうが、
東洋、日本らしい表現と思う。
流水を描写する表現は東洋、日本には多い。
西洋だと多くは危険、害としかとらえない。
それは水への思いだろうか?
飲料水という表現はまず日本にはなかった。
基本、飲めるからだ。
その飲める水があふれるから滂沱であり、
それが危険とはまず見做されなかった。

今はいろいろと水災害レベルとなっているが
でも暴れ川、治水、信玄堤などの言葉があるように
昔から水害はあったのにそれでも親しむのは
水が豊かで生活をよくしているからだろうかねえ。

2024-01-04

徳行

道義にかなったよい行い。
日本では徳というが
日本における徳は儒教的なもので一義でしかない。
世の中はグローバル、信条、宗教、そして倫理観が異なるために
徳という一義な思い込みがいいのだろうか?

みんなのためという信条も、自分の見えている人のためであって
その他の人からすれば悪行極まりないことだったり
個人主義VS公共の福祉の認識違いでいつも争う社会になりつつある。
自分は何やってもいいの!
という発想は昭和では通じない、徳のない行動も
アメリカの前大統領はその思いで、大統領まで行くと
徳のある人が為政者という儒教的な発想では成り立たないだろう。

日本的な徳の概念ではもう自分を守れなくなっている今
やはり、チカラこそ正義をもっと実感すべきな時代と思うべきと思う。