2024-01-31
幼体
2024-01-30
2024-01-29
接待
2024-01-26
2024-01-25
2024-01-24
2024-01-23
2024-01-22
2024-01-19
2024-01-18
応札
請負者を決める方法のこと。
競争入札に対して応募すること。
公共機関の仕事へ応札で発注を請ける。
これが今までの公共事業への民間のかかわりだ。
しかし、公務員の質、量の相対低下から
応札の準備、実施ができなく
随意契約が溢れたりして、いろいろと問題になった。
また、民間でも応札で募ったりしている。
しかし、
発注側の応札の内容(RFP)が曖昧なのに
なんでもやらしたり、
受注側も応札の内容に対応できず
逃げるどころか、発注側の問題だと争議になったりする。
社会情勢の変化のスピードが速く
応札をまとめた時点
応札をに応えた時点
納品するとき
でもはや時代遅れ、そのものを必要としないことになった場合
応札を出す側の責任、支払い義務を勘違いすることが
案外大企業のコストカットのロジックを口にしていることを
まーよくあること。
それより応札制度、請負がリスクなって応えたくない対応も
よくわかる。
2024-01-17
2024-01-16
天罰
2024-01-15
美観
2024-01-12
選民
多くの人は選民思想をよくないと思っているが
この社会、選民思想でしかない。
「自分がいいけど、他人はダメ」
根拠も自分の優位性をいうだけど
2024-01-11
柔軟
人、または事柄の性質が順応性に富んでいてやわらかであること。
、、、、柔軟を求める輩は結局はルール違反、規律を守れない違法者である。
~もっと柔軟な対応を
~なぜ柔軟に行えないものか
は、自分だけ特例にしてほしいという我儘なことである。
他の皆さんはそれを守って今にいたるのに
なぜ、その人だけ特別にするのか!
~自分たちは○○だから
ってどうでもいいことを口にするな。
○○の使い方が市民的ではない!
かのリンカーンの言う
社会、国家 が 何をしてれるのではなく
社会、国家 に 何をすべきか
をもっと意識すべき。
柔軟にしてもらうのではなく
柔軟にしてあげる
ほうに、気持ちをむけるべきでは?
どうも、個人主義は自分へ自分へになっている。
自分から自分からに思想をかえないとならないのでは?
2024-01-10
喫煙
2024-01-09
代議
2024-01-05
滂沱
水分が溢れんばかりに流れでていること。
2024-01-04
徳行
道義にかなったよい行い。
日本では徳というが
日本における徳は儒教的なもので一義でしかない。
世の中はグローバル、信条、宗教、そして倫理観が異なるために
徳という一義な思い込みがいいのだろうか?
みんなのためという信条も、自分の見えている人のためであって
その他の人からすれば悪行極まりないことだったり
個人主義VS公共の福祉の認識違いでいつも争う社会になりつつある。
自分は何やってもいいの!
という発想は昭和では通じない、徳のない行動も
アメリカの前大統領はその思いで、大統領まで行くと
徳のある人が為政者という儒教的な発想では成り立たないだろう。
日本的な徳の概念ではもう自分を守れなくなっている今
やはり、チカラこそ正義をもっと実感すべきな時代と思うべきと思う。