典型的には図記号を補足する文字。
現代社会って傍記なくして、理解できない。
内輪で使っている言葉でコミュニケーションを行うが
その表現はSNSで蔓延し、それを前提で話す輩に対して
わからないというのは当然だったが、現代では理解しない、歩み寄らない側が
批判されるゆがんだ時代になっているだけに。
わからない表現に傍記がないと他人と意思疎通ができないときている。
ある意味、傍記なくして理解できないことが普通になりつつあるこの世。
未来からこの表現を古文書として読まれたときに
未来人はどう読み解くのかな?
未来人に
未来人に
「平成令和時代の表現なんて、理解できない、なんでこんな表現だったの!」
って古文嫌いを呼びそうだな。
そもそも、、、清少納言や紀貫之の表現も当時はそうだったのかな?
そもそも、、、清少納言や紀貫之の表現も当時はそうだったのかな?
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