2019-06-04

訴求

宣伝・広告などによって買い手の欲求にはたらきかけることが現在の主な意味だがあえて、訴え続けることを挙げたい。
訴求することは、社会的に負け組の続ける活動っと言い切りたい。
つまり、それでしか自分を正当化できないそこにすがっているだけ、と言える。
この意見をひどいと酷評する庶民どもに言いたい。
僕の過去の経験で訴求を言い続けてまともに扱われたことなどない。そして、それを認めさせるために別で努力し、結果、そしてそれなりの地位に立ち、その訴求に言及すれば、「そんなどうでもいいことなど今更、言ってどうする、これ以上まだ社会から奪いたいのか」など、成功のやっかみのようなことを言われてきた。
勝てば官軍、そして、社会は弱者には冷たく、勝者の足を引っ張る愚民の集まりと悟ることで訴求のあるべき姿を感じている。
訴求、、それを誰に求めるか、、公権力?、他人?結局役にも立たない、、自分でどうにか他人に仕返しをする環境を作り実行することだ。それが実現化という者ともいえるがね。

0 件のコメント:

コメントを投稿