2017-05-31

人手

働く人。働き手。 
人手不足と言われる現代、、
そして、失業保険料や社会保障費が高騰している昨今。
人はいるが人手がない。
働こうとする人材がない
働かすにも価値がないと判断してしまう。
うーーん、いったん、戦争か何か価値観を変えようよ。
過去には
・姥捨て山
・働かざる者食うべからず
という言葉があった。
いろいろと人道的という言葉、狂い始めている。
人道的、人として道にあった生き方。
他人に世話になることが当然とか
自分の器知らずに偉そうなことを言って人手にならない人材を
人と見なしていること自体人道的ではないと思う。
言葉の綾か、、いや、、世間が狂っているとしか言いようがない。

2017-05-30

娼婦

売春を職業とする女。売春婦。
日本語の娼婦と西洋の娼婦の意味が違うということを耳にするが
それは時代、背景の違いであり、僕からすれば
現代能力主義は娼婦ビジネスと等しい、いや娼婦ビジネスのほうが崇高といえる。

自分の能力を相手の対価相当の拘束時間内に満足してもらい
次の発注につなげる。それを自己裁量で行うことをしてきた娼婦。
時には客を選べくらいの権限を持っていた。
この記述から、今の個人能力主義と何が違うのか!

現代人の旧来の価値観で他人を卑下したりする思い上がり
いい加減にしろよって思うことばかりだ。
娼婦とバカにする無駄な発想より
彼女たちがいかに栄枯盛衰にさらされて来たのかを理解することが
温故知新になると考えない人間どもを僕は卑下していく。

2017-05-29

花椒

ミカン科の香辛料。
似たもので山椒のほうが有名である。
花椒は近年、中国からのものとして広まっている。
山椒よりも強い香辛料として。
とはいえ、日本人は本来、香辛料を好まない。
そういう刺激に強くなく、淡い味を楽しむことができる味覚をもっているからであり
それゆえ、旨みという味を発見したともいえる。

香辛料を好むようになり、最近の日本の若い世代は味覚が、、
まーー、そんなことでジェネレーションギャップを意識するのは
年寄りの偏見でしかないのだが、、

2017-05-26

自覚

自分の状態・地位・任務・価値がどんなものかを、
よくわきまえること。そのわきまえ。
自分を相対的に理解することであり、絶対的な理解ではない。
得意、不得意、好き、嫌い、、、というのは主体、絶対的な感覚であり
自覚しているとはいえない。

相手と共有認識できる軸から見えて、自分の立ち位置はどうなのか?
その説明が相手に伝わっているのかができることであり、
自覚することは、まだまだの自分を知ることともいえる。

対して、面接等で
「自分はコミュニケーション能力が高い
 みんな俺の話を聞いてくれるから」
って発言してしまう人間をみると、自覚がないというか
コミュ症の典型例だなあって思ってしまう。

そもそも面接ということで相手を推し量る今の慣行行為こそ
何も自覚できていないともいえるがね。

2017-05-25

出師

軍を動かすこと

帥と師
使い方を間違えないように!
とかいうが、そもそも根本的に間違っているから、正しく使えるわけがない。

帥は軍事用語でしか使わない
師は先生の意味で使う
という認識が間違い

この
出師
そして
一個師団

と師という文字を軍事用語として使っているのだ。

まーー平和な日本において軍事用語を使うことはないと言われるが
漢字を通して、論理性の理解をしようとして教育視点からすれば
この論理矛盾は現代日本においてあまり好ましくないんだろうな。

2017-05-24

肉筆

印刷・複製でなく実際に手で書いた書画。
自動化、キーボード、電子化の時代に
わざわざ筆記具を使って書くものに価値があるようになった。

あえて、古いやり方をすることに価値を見出すのは
社会の進化とそして現代社会の不満の現れと思う。

非効率化に価値を感じるようになると
それは社会の成熟というより飽和状態かもしれない。
いろいろなところに垣間見れるほころびが
これからどんどん不自由になっていくのではないかって思う。

2017-05-23

洒落

心・ふるまいなどがさっぱりしていて、深く執着しないさま。
、、、、本当か?
お洒落ってそういう意味か?

ファッションという言葉とお洒落が混同している日本。
まして、ファッションの奇抜さに対して、否定することが下手な日本人は
言い切られてその着こなしを良しとしている。
その様に、
心・ふるまいなどがさっぱりしていて、深く執着しないさま。といえるだろうか?

なんか、いろいろなファッションに対して
お洒落というより、裸の王様というヤジを飛ばしてもそれはそれで
自己主張として認められるべきと思ってしまうのは僕のエゴか??!

2017-05-22

愚直

正直いちずなこと。ばか正直。
悟りきっている僕から言わせてもらえば、
愚直は継続性というとてつもない武器である。
その行為を継続することこそ価値がである。
しかし、この価値を身内が否定した時点で価値は崩壊する。
そして、その否定した人間の扱い方でその組織の命運が決まる。

愚直について、
組織の総意で敬意評価となっている組織は強い。
それは統制力そのものだ。
しかし、近年の能力主義、効率化で
「そんな行為に価値はない」
「もっと効率的に行わないとならない」
と発言する輩現れる。
この発言こそ、愚直の否定である。
愚直である価値を否定することで、それ以上の価値ある行為
そして、実績をだせればその組織はより強いものになるだろう。
しかし、言うだけ、思いだけの無責任は
正しいと思い込んでいることをただ口にしているクズであり
その否定で崩れて価値観を取り戻すことは簡単ではない。

能力主義、効率化が正しいのなら、自己能力、采配で示せ。
そうでないものは、組織から去れ、いや、否定したことで失った価値に見合う
等価を差し出さないとならない。
僕はその執行こそ、組織統治と思っている。

どうも、クズ発言、クズ統治が蔓延していて、
人間の価値が希薄に感じてならない。
繰り返し、同品質を題し続ける愚直さに敬意を感じないことこそ
愚ではないかと、、


2017-05-19

発言

言葉を発すること。

日本人は公の場では話せないが
プライベートだと饒舌になる。
僕は異例で、、、公の場のほうが饒舌になる。

プライベートだと
あまり自分のことを話す気にはならない。
これってもしかしたら、自己情報セキュリティーが高いのではないか!
なんて、いい方に考えるが、、結果的には
コミュ障でしかないんだよね。

2017-05-18

欠損

欠けて不完全になること。
しかしはそれは状況であり、何をもって、いつをもって完全であるというかは
定性的だ。
完璧、完全というものを求めることは重要だが、
完璧、完全と思い込むことはリスクでしかない。
ある意味、いつもあるべき姿になろうとする姿勢とその可能性こそが
完全以上の価値と何をもって欠損といえることが自己分析の高さと言える。

2017-05-17

配賦

割り当てること。
基本的に、費用額負担を一定のルールで関係者に分散負担することに使われる。
現代人、平等思想が多く、個人負担になることを嫌がる。
というより、自分が負担することを嫌がり、他人に押し付けようとする。
本当に貧乏、器の小さい人間が実に増えた。

古来であれば、有力者がその一切を受け持つことを率先して行い
その有力者に敬意と信頼をもって他の者は付き従った。
これがある意味、統率だっと思う。
今、有力者が一切を受け持つと他の者は
「払うほうがバカ」
「あいつは払って当然でもっと払うべきだ」
と平気で、侮蔑なことをいう。
こんなクズばかりな社会では損しかないから配賦が行われるのではないかと思う。

ある意味、配賦は器の小さい、社会が機能していない妥協行為であり、
これを打破するくらいの勢いは、愚かな民主主義では芽生えないことは悲しく思う。

2017-05-16

堡塁

敵の攻撃を防ぐために、石・土砂・コンクリートなどで構築された陣地のことを言う。
小型の要塞。
漢字熟語では、難しいが、、ゲームでいうところのトーチカという防御起点。
戦争用語で読みづらいもの、この平和な世の中では無用なもの、、
とかいうけど、平和なときに求められる娯楽は、疑似軍事行為ほど流行る。
人間はそもそも、そういう戦闘本能ばかりではないって決めてかかって
何が悪いって思ってしまう。

2017-05-15

夜会

夜の会合や催し。
西洋、欧米の行いを真似た日本人の宴会。
夜に飲む、昼は働くものだから、、after 5.
この発想って、もともと日本には受け入れがたいものだった。
祭り、ハレの日、、とそうではない日。
朝から晩までの農業。
夜は自宅で家内制手工業。
それが日本人で夜会なんてない。
しかし、収穫祭、、祭り、ハレの日には
仕事なんか忘れて好きに楽しんだ。夜朝関係なく、その日を起点にした
出産日が多かったことから、誕生日を祝わず、年越しを誕生日と見なしていたのだから。

日本を見直そうと言いながら
夜会、、、つまりafter 5 概念を当然とする発想に違和感がある。
そもそも、見直すべき日本なんて現代にはないのに、、としか考えられないはずなのに、、

2017-05-12

文才


文章を巧みに書く才能。文学的才能。
これって、どれだけ
読んでもらうために文章を意識して書いてきたかどうか総量の違いなのではって思う。
メールなども、自分の言いたいことだけを書いている人のメールって
文才と言うか、文章としておかしいし
そして、こちらから文章を送っても
ろくに読み込まないでアクションをしている感じがしてならない。

確かに、日本語は理解しづらい言語である事実は否めない。
しかし、だからこそ、この言語を駆使して相手へ理解してもらう技能が
真の意味での文才と思っている。

2017-05-11

精彩

生き生きと元気な様子。力にあふれてあざやかな様子。

この言葉も、定性的で主観的な言葉といえる。
どんな状態を精彩というのか、、
どういう状況であればいいのか?
はなかなか定義できない。
定義できないものなのに
精彩を欠く
否定することとはなんなんだろう?
使っている本人の主観的な表現を是とする社会ってある意味怖いような。。

2017-05-10

散見

あちこちにちらほら見あたること。
使われ方から考えると、あるべくしてあるものというより
存在すべきかどうかわからないものが目に付くあまり好意的ではない表現といえる。
人は注力して見なくても、気になるものが目についてしまう。
そのことで他人を不快に感じてしまうのも、
社会という他者共存のデメリットかもしれない。

2017-05-09

随所

いたるところに。
代表的な主観的、定性的な表現といえる。
このような定性表現は思考停止を導く。
なぜこんなに多いのか?
どういう法則で表れているのか?
傾向と分析をせずに、随所のような表現をしてしまうと
その事実を当たり前に受け入れてしまうことになる。

人間の進化、科学の基本は事象を疑い、それを観察、考えることだ。
自分の脳を鍛えるためにも、あまり定性表現を用いることは辞めるべきといえる。

2017-05-08

飲酒

お酒を飲むこと。
僕の中で飲酒も5W3Hを意識していて
WHAT、、つまりお酒そのものにあまり価値を感じていない。

いつ飲む場を設けるのか  
どこで飲むのか
誰と飲むのか
何を飲むのか
なぜ飲むのか
どう飲むのか

ではなく

いつ会うのか
どこで会うのか
誰に会うのか
何を話すのか
どうして会うのか
どう話すのか

つまり、飲酒は酒を飲むのではなく
相手との交渉の場でしか考えていない。
もっとも相手はただ飲みたいという人、タイミングもあるので
そこすら僕は考えて飲み会をすることがある意味、僕の興だったりする。

2017-05-02

系統

一定の順序を追って、または原理によって、並んでいること。
この系統を定義するのは、客観的、第三者によるもので
当事者は系統に属している自覚はないに等しい。

それゆえ、系統を定義され、自分がその定義に含まれると嫌がる人間が多い。
それを個性尊重、個人主義の表れとも言われるが、僕からすれば所詮、
団栗の背比べ、
どうも、まとめて分析する傾向を否定して社会を混乱させる人間を擁護して
社会悪化をまねていないか??

2017-05-01

鮮度

野菜・魚・肉などの新鮮さの度合。
鮮度は価値が下がることを前提にした考え方だ。
右肩上がりの物価を望んでも、鮮度は確実に価値が下がる。

しかし、この発想は逆で、すべてのものは鮮度である。
常に価値は下がっている。いつまでも同じ価値なわけがない。
人のスキル
貴重品
など、右肩上がりと思っていると足元を救われる。
僕は価値が下がることを前提にして
ビジネスを考えているから、何もしなければどんどん価値が下がる
切迫感をいつも考えている。

最近の人たちは同じことを繰り返して
年齢、経験で価値が上がるという錯覚があり
自分の周りだけではなく、
自分自身の鮮度を意識した生き方、仕事の仕方をしていないから
人手不足、
人は余っているのに
売れないこの状態といえる。

大漁であっても
みんな腐っている魚を買いますか?
今の庶民は本当に鮮度が悪いとしか言いようがない。