自分の状態・地位・任務・価値がどんなものかを、
よくわきまえること。そのわきまえ。
自分を相対的に理解することであり、絶対的な理解ではない。
得意、不得意、好き、嫌い、、、というのは主体、絶対的な感覚であり
自覚しているとはいえない。
相手と共有認識できる軸から見えて、自分の立ち位置はどうなのか?
その説明が相手に伝わっているのかができることであり、
自覚することは、まだまだの自分を知ることともいえる。
対して、面接等で
「自分はコミュニケーション能力が高い
みんな俺の話を聞いてくれるから」
って発言してしまう人間をみると、自覚がないというか
コミュ症の典型例だなあって思ってしまう。
そもそも面接ということで相手を推し量る今の慣行行為こそ
何も自覚できていないともいえるがね。
0 件のコメント:
コメントを投稿